だから僕は音楽を辞めた歌詞。 ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」のレビューと考察

ヨルシカ 踊ろうぜ 歌詞

だから僕は音楽を辞めた歌詞

このことから、藍二乗はエイミーがへと旅をする前に、エルマのことを想って書かれた歌だということがわかる。 藍二乗の藍はエイミーが使う万年筆のインクの色であると同時に、2乗すると「-1」になる単位の「i」、つまり 「君がいない」ということを表している。 楽曲を通してエルマに会いたいけれど、もう会うことはできないという、何かの決意のようなものを感じる。 そしてMVの最初、黒い画面の中に小さく「dear」の文字が見える。 この楽曲自体がエルマへ向けた手紙ということなのだろう。 また、「止まったガス水道」という歌詞から光熱費を払うことができない状況、つまりエイミーは仕事を辞めていることが伺える。 もちろんテレビも新聞もある筈がなく、世の中で起こっているニュースも知らずに、ただ曲作りに集中していたのだと思われる。 あの頃ずっと頭に描いた夢も大人になるほど時効になっていく ただ、ただ雲を見上げても 視界は今日も流れるまま 遠く仰いだ夜に花泳ぐ 春と見紛うほどに 君をただ見失うように 「藍二乗」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna この一節からは、かつて思い描いていた夢を諦めている様子が伺えるが、 エルマを思い出している間だけはそんな過去を忘れ、心に春が来たような気持ちにさせてくれていたのだろう。 けれど自分で作った曲は売れず、人生が思うようにいかないことを知り、何を信じていけば良いのかわからなくなってしまった。 (顔中を覆っているインクのようなものは、涙を流すエイミーの心情を表しているのかもしれない。 ) 人生は妥協の連続なんだ そんなこと疾うにわかってたんだ エルマ、君なんだよ 君だけが僕の音楽なんだ 「藍二乗」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna これは売れる為には自分の作りたい曲ばかりを作っていては駄目なんだと、まるで自分に言い聞かせているようでもあり、エルマの作る音楽こそが自分の求めていたものだと述べていることから、エルマの持つ音楽の才能に気づいていたことを示していると思われる。 この詩はあと八十字 人生の価値は、終わり方だろうから ただ、ただ君だけを描け 視界の藍も滲んだまま 遠く仰いだ空に花泳ぐ この目覆う藍二乗 「藍二乗」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 「この詩はあと八十字」から、きっちり歌詞が80字で終わっている為、エイミーは物語の完結に対する強いこだわりを持っていた同時に、エイミー自身の寿命があと僅かであったということを示唆しているのかもしれない。 それと「視界の藍も滲んだまま」には、藍二乗のもう1つの意味が表されている。 エイミーが空を見上げると涙で視界が滲み、空の藍色が 涙で二重に見えるという情景だ。 MVの最後には、エイミーと思われる男性が空っぽの木箱に手紙を入れている様子が映されている。 きっとこの歌がエルマに宛てて作られた最初の楽曲なのだろう。 インク瓶• 万年筆• カメラ• 詩と楽譜を仕舞う木箱• バイトで貯めた資金 と最低限の荷物を持って、人生最後の旅に出ることを手紙で宣言している。 そして、この街の聖堂で詩を考えるのがになっているという記述から、恐らくこの「詩書きとコーヒー」もそのルンド大聖堂で作られた曲である可能性が高い。 最低限の生活で小さな部屋の六畳で 君と暮らせれば良かった それだけ考えていた 幸せの色は準透明 なら見えない方が良かった 何も出来ないのに今日が終わる 最低限の生活で小さな部屋の六畳で 天井を眺める毎日 何かを考えていた 幸せの価値は60000円 家賃が引かれて4000円 ぼやけた頭で想い出を漁る 「詩書きとコーヒー」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 幸せの色は 準透明とは2ndミニアルバム「負け犬にアンコールはいらない」 の収録曲であるのことを指し、確かに存在するが、目に見えない 幸せというものに対して、それが自分の元を去っていく エルマにはもう会えないという不幸を感じる くらいなら、そもそも幸せなんて知らないほうが良かったと表現しているのだろう。 そして幸せの価値という言葉も2ndミニアルバムの収録曲の歌詞 幸せの文字が¥を含むのは何でなんでしょうか。 「」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna から由来しているものと思われる。 つまりここで言う幸せとは、お金と関係する意味合いを持ち、 幸せとお金は繋がりのあるものという認識がエイミーにもあって、 お金 給料 =幸せの価値と捉えていたのかもしれない。 従って、給料の60000円から家賃の56000円を引かれて、残りは4000円という生活の苦しさを歌詞で表しているものと考えられる。 また、「少し大きくなった部屋」からは、家具などを引き払い、どうにか生活をやりくりしていた様子が伺える。 寿命を売るなら残り二年 それだけ残してあの街へ 余った寿命で思い出を漁る 「詩書きとコーヒー」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 「寿命を売る」なんていう表現は、一般的に使われることはない。 これは例えば何かの作品を世に出すような、創作家などが使う 活動期間のことを指すのではないだろうか。 そして本来はあと二年でその人生に幕を下ろすはずだったのかもしれないが、実際エイミーはこの旅を始めてから一年も経たずしてその生涯を終えることになる。 エイミーは人である前に芸術家であった。 その部分が勝ってしまったが故に、エイミーは人としての普通に関してあまり興味を持たなかったのだろう。 しかし、エルマと出会ったことで普通の生き方(エルマとの生活)に憧れ、求めるようになったが、とあるきっかけ(恐らく寿命)でそれが叶わぬものと知り、世界に、己の人生に失望してしまったのではないかと思われる。 これは推測だが、手紙に「に向かう道中でスリに遭った」と記されており、分けて保管していた現金とインクを盗られている。 このことから当初、エイミーは曲の制作活動を二年間行える程の資金とインクを持ち合わせていたが 詩書きとコーヒーより 、スリに遭ったことによってその活動期間を縮めざるを得なくなってしまったのかもしれない。 そして自分の人生の期限さえも自分で決めてしまう程の芸術至上主義だったということになる。 (インクの量=寿命と決めていた。 ) 更に、が遺した は三尺の童にさせよ という言葉についても触れていて、慣れて技巧ばかりを凝らすようになってしまった自分の音楽は、既に賞味期限が切れており、今まで続けていたものは所詮、芸術の真似事に過ぎないのだと心境を明かしている。 エイミーはこの時点で、リンショーピンという街に訪れているようだ。 数日前に書いた詩について 「青」とは毒性の人工染料で、エイミーが万年筆で使用していたインクのことだ。 恐らく、ノーチラスで服用していたものも「青」だと思われる。 そしてエイミーは「青」にもう一つの意味を持たせていた。 さようなら 青々と息を呑んだ 例う涙は青だ 黙ったらもう消えたんだよ 馬鹿みたいだよな 思い出せ! 「五月は青の窓辺から」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 手紙によると、あの詩に書かれているのは全て涙のことであり、涙というのは毒に近いものだと表現している。 涙は自分の弱さを正当化するための麻酔であると共に、辛い現実から目を背ける「逃避」なのだという。 加えて、作品を笑われた時のことを自分の弱さ=毒だと述べており、このことから、エイミーは過去に自分の作品を馬鹿にされた経験があるようだ。 従って、激しいロック調で演奏されているこの楽曲は、その時のエイミーの怒りを表しているのではないだろうか。 しかし、一つ気になる点がある。 「空いた教室」、「指を指された僕」など歌詞の中に学生時代を連想させる言葉が入っていることだ。 あくまで自己解釈だが、これは学生時代に出会ったエルマとの思い出ではなく、エルマに音楽を教えていた夏の記憶ではないだろうか。 エイミーは音楽を教えるという立場から、エルマといたその場所を教室と例え、その時間をまるで学生時代のように歌詞で表現したものと思われる。 けれど、エルマに音楽を教えている内にその才能に気づいてしまい、心のどこかで嫉妬のような感情が少しずつ湧きあがる。 そこに売れない自分の作品に対する怒りが重ね合わさり、涙さえも否定するという心情をこの歌詞で伝えようとしていたのかもしれない。 嗚呼、人間なんて辞めたいな そうだろ、面白くも何にもないだろ 嗚呼、自慢のギターを見せびらかした あの日の自分を潰してやりたいよ 伝えたい全部はもう 夏も冬も明日の向こう側で 灰になったから 淡く消え去ったから 疾うに失くしてたこの情動も何処かへ投げ捨てて 君がいいのなら ただ忘れたいのなら もう躊躇うことなんてないよ このまま夜明けまで踊ろうぜ 「踊ろうぜ」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna この歌詞では、それなしでは生きられない程に、自分の人生を変えてしまった音楽に対する恨みとその音楽を選んてしまった自分へのやるせない思いを表しているのだろう。 そしてそれら全てを、皮肉にも「踊ろうぜ」という曲名の歌で忘れ去ろうとしているように感じる。 嗚呼、音楽なんか辞めてやるのさ 思い出の君が一つも違わず描けたら どうせもうやりたいこと一つ言えないからさ 浮かばないからさ 君を知ったまま 日々が過ぎ去ったから どうか追いつきたいこの情動をこのまま歌にしたい 今が苦しいならさ 言い訳はいいからさ あぁもう、踊ろうぜほら 「踊ろうぜ」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna エイミーにとって、音楽の他にやりたいことなど無く、思い浮かばなかった。 だから、の旅を通じてエルマに宛てた手紙と詩(楽曲)を書き終えることができたなら、音楽を辞めることにするという決意をこの時点で抱いていたのかもしれない。 ヴィスビーについて 時代に繁栄していた貿易都市で、今も中世の匂いが色濃く残る遺跡の街。 「輪壁」と呼ばれる、街の周囲をぐるりと囲む城壁は中世に作られたもので、年月が経っても変わらない姿を見ることが出来るそうだ。 恐らくここで言う「輪壁」は、エイミーの心を覆う 障壁のことを指しているのではないだろうか。 それと、エイミー個人の話も綴られていた。 昨夏の初め頃、バイトを辞めたエイミーは、久し振りに駅前で路上ライブを行っていたようで、ふと目の前を見ると、一人の中年男性が立ち止まって歌を聴いていたらしい。 そして次の曲が終盤に差し掛かった時、その男性が感想を言った。 「詰まんない歌だな」 その言葉を聞いてエイミーは、ただどうでも良かったと記しているが、手紙の最後には あの日見た夜紛いの夕暮れを、まだ忘れられないままでいるという怒りとも呼べない感情を書き表していた。 がらんどうの心が夕陽の街を歩いてく 銃身よりも重いと引き攣ったその嘘の分だけ 人生ごとマシンガン、消し飛ばしてもっと 心臓すら攫って ねぇ、さよなら一言で 「夜紛い」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna マシンガンという単語には2ndミニアルバム「負け犬にアンコールはいらない」の収録曲に似た、心の中に宿ってしまった破壊衝動を表しているものと思われる。 人生ごとマシンガン 消し飛ばしてもっと 苦しいんだと笑って ねぇ、さよなら一言で 君が後生抱えて生きていくような思い出になりたい 見るだけで痛いような ただ一つでいい 君に一つでいい 風穴を開けたい 「夜紛い」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 風穴を開けたいという歌詞は、一見すると物騒な言葉だが、 これはエルマにこのまま忘れられたくないという思いと、こんな自分を認めてほしいという存在欲求を比喩した言葉だと思われる。 つまりエイミーはエルマにとって、いつまでも忘れられないような 特別な存在になりたかったのだろう。 そしてその記憶を忘れない為の方法を探していた。 その答えがエイミーの取り柄でもある音楽の中、つまり歌詞に綴るという表現方法だったのであろう。 これは個人的な解釈だが、「ひとりぼっちのパレード」というどこか矛盾を感じる言葉には、エイミーが一人でエルマへの思いを書き連ねるパレード(文字の行列)という本来のパレードとは相反する儚い意味合いが込められているのではないだろうか。 ずっと前から思ってたけど 君の指先の中にはたぶん神様が住んでいる 今日、昨日よりずっと前から、ずっとその昔の昔から。 わかるんだ 「パレード」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna エルマの指先に注目して、まるで褒め称えているかのようなこの歌詞は、もしかしたらエルマが弾いていたピアノを指しているのかもしれない。 そしてそのピアノの音色に、自分にはない音楽の才能を見いだしていたのだと思われる。 また、この手紙はエイミーが書いた「パレード」の詩の翌日に書かれたものであり、その後日談のような内容たった。 身体の奥 喉の真下 心があるとするなら君はそこなんだろうから 「パレード」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 「身体の奥 喉の真下」が指すもの。 それは声(声帯)のことを指していて、目には見えないが、心臓を伝い、肺から気管を通り口から出る。 その空気の振動にこそ、心が宿るのだという。 これも推測だが、もしかしたらエイミーはもう一度エルマの声を聞きたくなったのか、 或いは感情が込められた歌声のように、心を宿らせることができるのは、人から発せられる声だけなんだということを伝えたかったのかもしれない。 それと、神様についての話も書かれていた。 神様は作品の中に宿るわけであって、人間の中に宿っているわけではないと思うのは創作家の傲慢だという。 そこにはエイミーの持つ思想について書かれており、自らをオスカーワイルドに倣う芸術至上主義者だと述べていた。 これには、その人の体験した人生や自然、社会といった周りの環境を模倣して芸術が作られるのではなく、むしろ芸術には人生を変えてしまう程の力を持っているという意味が込められている。 それから手紙の最後には、そろそろインクが尽きようとしている旨が書かれていた。 ヴィスビーは本当に良い街だけど、長居し過ぎてしまった。 お金もインクの残りも少なくなっている。 どうやらエイミーはこれからへ戻るようで、そこは彼が幼少期に住んでいた街らしい。 バイトを辞めたことについて 正確に言うと、逃げ出したようだ。 その日は綺麗な欠けた月が出ていたようで、自転車に乗っての駅前を無心になって漕いでいたという。 そしてその時にエイミーはもう、この夏で全てを終わらせる覚悟を決めていたようだ。 良いミュージシャンについて ロバートジョンソン、ジミヘンドリクス、ブライアンジョーンズ、ジムモリソン あの頃の良いミュージシャンは、皆27歳でこの世を去った。 27クラブなんて言う有名なジンクスもあるくらいだ。 この言葉から、(決して共感できることではないが)エイミーは27歳で人生の幕を下ろすことに美徳のようなものを感じていたのだと思われる。 手紙の最後には、の引用 「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い。 」 という詩と共に、 一滴の涙の跡と思われるシミが付いていた。 心臓が煩かった 歩くたび息が詰まった 初めてバイトを逃げ出した 音楽も生活も、もうどうでもよかった ただ気に食わないものばかりが増えた 八月某、月明かり、自転車で飛んで の高架橋、小平、富士見通りと商店街 夜風が鼻を擽ぐった この胸の痛みは気のせいだ わかってた わかった振りをした 「八月、某、月明かり」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna この楽曲は歌詞全体を通して、自暴自棄ともとれるエイミーの荒々しい感情が表現されている。 その原因と思われる言葉が、歌詞の中に散りばめられており、何らかの病気を示唆しているものと思われる。 「心臓が煩い」• 「歩くたび息が詰まる」• 「胸の痛み」 心臓が煩かった 笑うほど喉が渇いた 初めて心を売り出した 狭心もプライドも、もうどうでもよかった 気に食わない奴にも頭を下げた 「八月、某、月明かり」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 歌詞に出てくる「狭心」という言葉。 このことから推測できるのは、恐らくエイミーは 、或いは心臓の病気を患っていた可能性があるということだ。 病気の正体を知ってしまったエイミーは、その人生がもう長くはないことに気づき、このような死を意識した楽曲を作ったのではないかと考えられる。 最低だ 最低だ 別れなんて傲慢だ 君の全てに頷きたいんだ そんなの欺瞞と同じだ、エルマ 「八月、某、月明かり」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna この時のエイミーにとって、唯一の心残りはエルマであり、エルマにある音楽の才能をどうにかして本人気づかせたかったのだろう。 しかし、エイミーがそれをしてしまえば、自分にはその才能がないことを認めてしまう。 (自分の音楽を否定することになってしまう そんな嫉妬と葛藤するエイミーの思いが、この楽曲から感じられる。 その違いと理由について考えてみた。 一、「あんた」はエイミーの人生に影響を与えた外的要因。 ニ、「あんた」はエルマを皮肉った言葉。 まず前者は、エイミーの人生や考え方を決めてしまった(決めざるを得なくなってしまった)外的要因をまとめて、「あんた」と呼んでいたのではないだろうかというものだ。 病気の発覚や自分の作った音楽が売れない現実、才能のあるエルマとの出会いなどの体験は、エイミーにとって人生観や考え方を狂わせてしまった大きな原因であったと思われ、それらのせいで「僕は変わってしまったんだ」という自己主張なのだと考えられる。 そして後者は、やはり「あんた」という二人称はエルマのことを指しており、エルマの存在が自分を変えてくれたのだということを伝えたかったのではないかというものだ。 エルマと出会う前のエイミーは、夢を諦め、売れることだけを考えながら曲を作っていた。 しかし、エルマと出会い、彼女の価値観や作品に対する考え方に触れていく内に、売れることなんてどうでもいいことなんだと気付かされ、本来のエイミーの音楽を思い出させてくれたのだろう。 そのことを、感謝の意味を込めて「エルマのおかげ」と伝えようとしたが、素直になれないエイミーは「あんたのせい」と皮肉めいて書いてしまったのだと考えられる。 考えたってわからないし 青春なんてつまらないし 辞めた筈のピアノ、机を弾く癖が抜けない ねぇ、将来何してるだろうね 音楽はしてないといいね 困らないでよ 心の中に一つ線を引いても どうしても消えなかった 今更なんだから なぁ、もう思い出すな 「だから僕は音楽を辞めた」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 心の中に線を引いて(He/art:彼/芸術)音楽と距離を置いてみても、指で机を弾く癖が抜けないというこの歌詞からは、エイミーがかつて憧れていたピアニストの夢を未だに捨てきれないでいる様子が伺える。 このことから、やはりエイミーの人生には音楽しかなかったということがわかる。 幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ 満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感 間違ってないよ なぁ、何だかんだあんたら人間だ 愛も救いも優しさも根拠がないなんて気味が悪いよ ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ どうでもいいか あんたのせいだ 「だから僕は音楽を辞めた」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna それと同時に、音楽のことしか考えられない芸術至上主義のエイミーは、大切な筈だったエルマに対しても嫉妬を抱いてしまう己の醜さを「化物みたいな劣等感」と称していたのだと思われる。 僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ 何度でも君を書いた 売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった だから僕は音楽を辞めた 「だから僕は音楽を辞めた」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna そんな音楽に対する葛藤と矛盾が、エイミー自身を狂わせ、行き着いた果てが 音楽を辞めるという決断に繋がってしまったのではないだろうか。 そして手紙の初めには、もうインクが残り僅かになったことが書かれていた。 (実際に文字が少し掠れている) それとエルマに向けて、箱に入れた詩と曲は全て君のものであり、僕にはもう必要ないと述べ、作品のことばかり考える自分自身のことを「芸術狂いの醜い化物」と呼んでいた。 冒頭、インクが切れたようで、文字がかなり掠れている。 そこには、エイミーの人生観が綴られていた。 終わりのない小説は詰まらない。 それは人生にも言えることであり、エイミーにとってその物語は音楽でしか表せないそうだ。 そしてこの箱に入れられた詩曲が、エイミーを象った人生そのものだという。 それから、この手紙を入れた箱はエイミーが送った訳ではないらしい。 どうやらエイミーは、そのうち親切な誰かが送ってくれることを祈って、エルマの住所を書いたメモ書きを箱に添えただけのようだ。 (ということは、にわかには信じがたいが、物語としては本当にそうなったことになるのだろう) その人生は妥協の連続だったようで、エイミーはピアニストに憧れていただけではなく、小説家にもなりたがっていたらしい。 そんな一度音楽を辞めたエイミーが、こうしてまた夢を諦めきれずに詩を書き始めるようになったのはエルマの詩を読んだからだそうだ。 エイミーは、その時触れたエルマの詩に「月明かり」を見たようで、それは夜しか照らさない無謬の光を放っていたという。 そして手紙には、数滴の滲んだ涙と思われる跡が付いていた。 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで 「エルマ」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna.

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【歌い方】だから僕は音楽を辞めた / ヨルシカ(難易度A)【歌が上手くなる歌唱分析シリーズ】

だから僕は音楽を辞めた歌詞

このことから、藍二乗はエイミーがへと旅をする前に、エルマのことを想って書かれた歌だということがわかる。 藍二乗の藍はエイミーが使う万年筆のインクの色であると同時に、2乗すると「-1」になる単位の「i」、つまり 「君がいない」ということを表している。 楽曲を通してエルマに会いたいけれど、もう会うことはできないという、何かの決意のようなものを感じる。 そしてMVの最初、黒い画面の中に小さく「dear」の文字が見える。 この楽曲自体がエルマへ向けた手紙ということなのだろう。 また、「止まったガス水道」という歌詞から光熱費を払うことができない状況、つまりエイミーは仕事を辞めていることが伺える。 もちろんテレビも新聞もある筈がなく、世の中で起こっているニュースも知らずに、ただ曲作りに集中していたのだと思われる。 あの頃ずっと頭に描いた夢も大人になるほど時効になっていく ただ、ただ雲を見上げても 視界は今日も流れるまま 遠く仰いだ夜に花泳ぐ 春と見紛うほどに 君をただ見失うように 「藍二乗」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna この一節からは、かつて思い描いていた夢を諦めている様子が伺えるが、 エルマを思い出している間だけはそんな過去を忘れ、心に春が来たような気持ちにさせてくれていたのだろう。 けれど自分で作った曲は売れず、人生が思うようにいかないことを知り、何を信じていけば良いのかわからなくなってしまった。 (顔中を覆っているインクのようなものは、涙を流すエイミーの心情を表しているのかもしれない。 ) 人生は妥協の連続なんだ そんなこと疾うにわかってたんだ エルマ、君なんだよ 君だけが僕の音楽なんだ 「藍二乗」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna これは売れる為には自分の作りたい曲ばかりを作っていては駄目なんだと、まるで自分に言い聞かせているようでもあり、エルマの作る音楽こそが自分の求めていたものだと述べていることから、エルマの持つ音楽の才能に気づいていたことを示していると思われる。 この詩はあと八十字 人生の価値は、終わり方だろうから ただ、ただ君だけを描け 視界の藍も滲んだまま 遠く仰いだ空に花泳ぐ この目覆う藍二乗 「藍二乗」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 「この詩はあと八十字」から、きっちり歌詞が80字で終わっている為、エイミーは物語の完結に対する強いこだわりを持っていた同時に、エイミー自身の寿命があと僅かであったということを示唆しているのかもしれない。 それと「視界の藍も滲んだまま」には、藍二乗のもう1つの意味が表されている。 エイミーが空を見上げると涙で視界が滲み、空の藍色が 涙で二重に見えるという情景だ。 MVの最後には、エイミーと思われる男性が空っぽの木箱に手紙を入れている様子が映されている。 きっとこの歌がエルマに宛てて作られた最初の楽曲なのだろう。 インク瓶• 万年筆• カメラ• 詩と楽譜を仕舞う木箱• バイトで貯めた資金 と最低限の荷物を持って、人生最後の旅に出ることを手紙で宣言している。 そして、この街の聖堂で詩を考えるのがになっているという記述から、恐らくこの「詩書きとコーヒー」もそのルンド大聖堂で作られた曲である可能性が高い。 最低限の生活で小さな部屋の六畳で 君と暮らせれば良かった それだけ考えていた 幸せの色は準透明 なら見えない方が良かった 何も出来ないのに今日が終わる 最低限の生活で小さな部屋の六畳で 天井を眺める毎日 何かを考えていた 幸せの価値は60000円 家賃が引かれて4000円 ぼやけた頭で想い出を漁る 「詩書きとコーヒー」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 幸せの色は 準透明とは2ndミニアルバム「負け犬にアンコールはいらない」 の収録曲であるのことを指し、確かに存在するが、目に見えない 幸せというものに対して、それが自分の元を去っていく エルマにはもう会えないという不幸を感じる くらいなら、そもそも幸せなんて知らないほうが良かったと表現しているのだろう。 そして幸せの価値という言葉も2ndミニアルバムの収録曲の歌詞 幸せの文字が¥を含むのは何でなんでしょうか。 「」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna から由来しているものと思われる。 つまりここで言う幸せとは、お金と関係する意味合いを持ち、 幸せとお金は繋がりのあるものという認識がエイミーにもあって、 お金 給料 =幸せの価値と捉えていたのかもしれない。 従って、給料の60000円から家賃の56000円を引かれて、残りは4000円という生活の苦しさを歌詞で表しているものと考えられる。 また、「少し大きくなった部屋」からは、家具などを引き払い、どうにか生活をやりくりしていた様子が伺える。 寿命を売るなら残り二年 それだけ残してあの街へ 余った寿命で思い出を漁る 「詩書きとコーヒー」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 「寿命を売る」なんていう表現は、一般的に使われることはない。 これは例えば何かの作品を世に出すような、創作家などが使う 活動期間のことを指すのではないだろうか。 そして本来はあと二年でその人生に幕を下ろすはずだったのかもしれないが、実際エイミーはこの旅を始めてから一年も経たずしてその生涯を終えることになる。 エイミーは人である前に芸術家であった。 その部分が勝ってしまったが故に、エイミーは人としての普通に関してあまり興味を持たなかったのだろう。 しかし、エルマと出会ったことで普通の生き方(エルマとの生活)に憧れ、求めるようになったが、とあるきっかけ(恐らく寿命)でそれが叶わぬものと知り、世界に、己の人生に失望してしまったのではないかと思われる。 これは推測だが、手紙に「に向かう道中でスリに遭った」と記されており、分けて保管していた現金とインクを盗られている。 このことから当初、エイミーは曲の制作活動を二年間行える程の資金とインクを持ち合わせていたが 詩書きとコーヒーより 、スリに遭ったことによってその活動期間を縮めざるを得なくなってしまったのかもしれない。 そして自分の人生の期限さえも自分で決めてしまう程の芸術至上主義だったということになる。 (インクの量=寿命と決めていた。 ) 更に、が遺した は三尺の童にさせよ という言葉についても触れていて、慣れて技巧ばかりを凝らすようになってしまった自分の音楽は、既に賞味期限が切れており、今まで続けていたものは所詮、芸術の真似事に過ぎないのだと心境を明かしている。 エイミーはこの時点で、リンショーピンという街に訪れているようだ。 数日前に書いた詩について 「青」とは毒性の人工染料で、エイミーが万年筆で使用していたインクのことだ。 恐らく、ノーチラスで服用していたものも「青」だと思われる。 そしてエイミーは「青」にもう一つの意味を持たせていた。 さようなら 青々と息を呑んだ 例う涙は青だ 黙ったらもう消えたんだよ 馬鹿みたいだよな 思い出せ! 「五月は青の窓辺から」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 手紙によると、あの詩に書かれているのは全て涙のことであり、涙というのは毒に近いものだと表現している。 涙は自分の弱さを正当化するための麻酔であると共に、辛い現実から目を背ける「逃避」なのだという。 加えて、作品を笑われた時のことを自分の弱さ=毒だと述べており、このことから、エイミーは過去に自分の作品を馬鹿にされた経験があるようだ。 従って、激しいロック調で演奏されているこの楽曲は、その時のエイミーの怒りを表しているのではないだろうか。 しかし、一つ気になる点がある。 「空いた教室」、「指を指された僕」など歌詞の中に学生時代を連想させる言葉が入っていることだ。 あくまで自己解釈だが、これは学生時代に出会ったエルマとの思い出ではなく、エルマに音楽を教えていた夏の記憶ではないだろうか。 エイミーは音楽を教えるという立場から、エルマといたその場所を教室と例え、その時間をまるで学生時代のように歌詞で表現したものと思われる。 けれど、エルマに音楽を教えている内にその才能に気づいてしまい、心のどこかで嫉妬のような感情が少しずつ湧きあがる。 そこに売れない自分の作品に対する怒りが重ね合わさり、涙さえも否定するという心情をこの歌詞で伝えようとしていたのかもしれない。 嗚呼、人間なんて辞めたいな そうだろ、面白くも何にもないだろ 嗚呼、自慢のギターを見せびらかした あの日の自分を潰してやりたいよ 伝えたい全部はもう 夏も冬も明日の向こう側で 灰になったから 淡く消え去ったから 疾うに失くしてたこの情動も何処かへ投げ捨てて 君がいいのなら ただ忘れたいのなら もう躊躇うことなんてないよ このまま夜明けまで踊ろうぜ 「踊ろうぜ」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna この歌詞では、それなしでは生きられない程に、自分の人生を変えてしまった音楽に対する恨みとその音楽を選んてしまった自分へのやるせない思いを表しているのだろう。 そしてそれら全てを、皮肉にも「踊ろうぜ」という曲名の歌で忘れ去ろうとしているように感じる。 嗚呼、音楽なんか辞めてやるのさ 思い出の君が一つも違わず描けたら どうせもうやりたいこと一つ言えないからさ 浮かばないからさ 君を知ったまま 日々が過ぎ去ったから どうか追いつきたいこの情動をこのまま歌にしたい 今が苦しいならさ 言い訳はいいからさ あぁもう、踊ろうぜほら 「踊ろうぜ」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna エイミーにとって、音楽の他にやりたいことなど無く、思い浮かばなかった。 だから、の旅を通じてエルマに宛てた手紙と詩(楽曲)を書き終えることができたなら、音楽を辞めることにするという決意をこの時点で抱いていたのかもしれない。 ヴィスビーについて 時代に繁栄していた貿易都市で、今も中世の匂いが色濃く残る遺跡の街。 「輪壁」と呼ばれる、街の周囲をぐるりと囲む城壁は中世に作られたもので、年月が経っても変わらない姿を見ることが出来るそうだ。 恐らくここで言う「輪壁」は、エイミーの心を覆う 障壁のことを指しているのではないだろうか。 それと、エイミー個人の話も綴られていた。 昨夏の初め頃、バイトを辞めたエイミーは、久し振りに駅前で路上ライブを行っていたようで、ふと目の前を見ると、一人の中年男性が立ち止まって歌を聴いていたらしい。 そして次の曲が終盤に差し掛かった時、その男性が感想を言った。 「詰まんない歌だな」 その言葉を聞いてエイミーは、ただどうでも良かったと記しているが、手紙の最後には あの日見た夜紛いの夕暮れを、まだ忘れられないままでいるという怒りとも呼べない感情を書き表していた。 がらんどうの心が夕陽の街を歩いてく 銃身よりも重いと引き攣ったその嘘の分だけ 人生ごとマシンガン、消し飛ばしてもっと 心臓すら攫って ねぇ、さよなら一言で 「夜紛い」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna マシンガンという単語には2ndミニアルバム「負け犬にアンコールはいらない」の収録曲に似た、心の中に宿ってしまった破壊衝動を表しているものと思われる。 人生ごとマシンガン 消し飛ばしてもっと 苦しいんだと笑って ねぇ、さよなら一言で 君が後生抱えて生きていくような思い出になりたい 見るだけで痛いような ただ一つでいい 君に一つでいい 風穴を開けたい 「夜紛い」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 風穴を開けたいという歌詞は、一見すると物騒な言葉だが、 これはエルマにこのまま忘れられたくないという思いと、こんな自分を認めてほしいという存在欲求を比喩した言葉だと思われる。 つまりエイミーはエルマにとって、いつまでも忘れられないような 特別な存在になりたかったのだろう。 そしてその記憶を忘れない為の方法を探していた。 その答えがエイミーの取り柄でもある音楽の中、つまり歌詞に綴るという表現方法だったのであろう。 これは個人的な解釈だが、「ひとりぼっちのパレード」というどこか矛盾を感じる言葉には、エイミーが一人でエルマへの思いを書き連ねるパレード(文字の行列)という本来のパレードとは相反する儚い意味合いが込められているのではないだろうか。 ずっと前から思ってたけど 君の指先の中にはたぶん神様が住んでいる 今日、昨日よりずっと前から、ずっとその昔の昔から。 わかるんだ 「パレード」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna エルマの指先に注目して、まるで褒め称えているかのようなこの歌詞は、もしかしたらエルマが弾いていたピアノを指しているのかもしれない。 そしてそのピアノの音色に、自分にはない音楽の才能を見いだしていたのだと思われる。 また、この手紙はエイミーが書いた「パレード」の詩の翌日に書かれたものであり、その後日談のような内容たった。 身体の奥 喉の真下 心があるとするなら君はそこなんだろうから 「パレード」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 「身体の奥 喉の真下」が指すもの。 それは声(声帯)のことを指していて、目には見えないが、心臓を伝い、肺から気管を通り口から出る。 その空気の振動にこそ、心が宿るのだという。 これも推測だが、もしかしたらエイミーはもう一度エルマの声を聞きたくなったのか、 或いは感情が込められた歌声のように、心を宿らせることができるのは、人から発せられる声だけなんだということを伝えたかったのかもしれない。 それと、神様についての話も書かれていた。 神様は作品の中に宿るわけであって、人間の中に宿っているわけではないと思うのは創作家の傲慢だという。 そこにはエイミーの持つ思想について書かれており、自らをオスカーワイルドに倣う芸術至上主義者だと述べていた。 これには、その人の体験した人生や自然、社会といった周りの環境を模倣して芸術が作られるのではなく、むしろ芸術には人生を変えてしまう程の力を持っているという意味が込められている。 それから手紙の最後には、そろそろインクが尽きようとしている旨が書かれていた。 ヴィスビーは本当に良い街だけど、長居し過ぎてしまった。 お金もインクの残りも少なくなっている。 どうやらエイミーはこれからへ戻るようで、そこは彼が幼少期に住んでいた街らしい。 バイトを辞めたことについて 正確に言うと、逃げ出したようだ。 その日は綺麗な欠けた月が出ていたようで、自転車に乗っての駅前を無心になって漕いでいたという。 そしてその時にエイミーはもう、この夏で全てを終わらせる覚悟を決めていたようだ。 良いミュージシャンについて ロバートジョンソン、ジミヘンドリクス、ブライアンジョーンズ、ジムモリソン あの頃の良いミュージシャンは、皆27歳でこの世を去った。 27クラブなんて言う有名なジンクスもあるくらいだ。 この言葉から、(決して共感できることではないが)エイミーは27歳で人生の幕を下ろすことに美徳のようなものを感じていたのだと思われる。 手紙の最後には、の引用 「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い。 」 という詩と共に、 一滴の涙の跡と思われるシミが付いていた。 心臓が煩かった 歩くたび息が詰まった 初めてバイトを逃げ出した 音楽も生活も、もうどうでもよかった ただ気に食わないものばかりが増えた 八月某、月明かり、自転車で飛んで の高架橋、小平、富士見通りと商店街 夜風が鼻を擽ぐった この胸の痛みは気のせいだ わかってた わかった振りをした 「八月、某、月明かり」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna この楽曲は歌詞全体を通して、自暴自棄ともとれるエイミーの荒々しい感情が表現されている。 その原因と思われる言葉が、歌詞の中に散りばめられており、何らかの病気を示唆しているものと思われる。 「心臓が煩い」• 「歩くたび息が詰まる」• 「胸の痛み」 心臓が煩かった 笑うほど喉が渇いた 初めて心を売り出した 狭心もプライドも、もうどうでもよかった 気に食わない奴にも頭を下げた 「八月、某、月明かり」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 歌詞に出てくる「狭心」という言葉。 このことから推測できるのは、恐らくエイミーは 、或いは心臓の病気を患っていた可能性があるということだ。 病気の正体を知ってしまったエイミーは、その人生がもう長くはないことに気づき、このような死を意識した楽曲を作ったのではないかと考えられる。 最低だ 最低だ 別れなんて傲慢だ 君の全てに頷きたいんだ そんなの欺瞞と同じだ、エルマ 「八月、某、月明かり」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna この時のエイミーにとって、唯一の心残りはエルマであり、エルマにある音楽の才能をどうにかして本人気づかせたかったのだろう。 しかし、エイミーがそれをしてしまえば、自分にはその才能がないことを認めてしまう。 (自分の音楽を否定することになってしまう そんな嫉妬と葛藤するエイミーの思いが、この楽曲から感じられる。 その違いと理由について考えてみた。 一、「あんた」はエイミーの人生に影響を与えた外的要因。 ニ、「あんた」はエルマを皮肉った言葉。 まず前者は、エイミーの人生や考え方を決めてしまった(決めざるを得なくなってしまった)外的要因をまとめて、「あんた」と呼んでいたのではないだろうかというものだ。 病気の発覚や自分の作った音楽が売れない現実、才能のあるエルマとの出会いなどの体験は、エイミーにとって人生観や考え方を狂わせてしまった大きな原因であったと思われ、それらのせいで「僕は変わってしまったんだ」という自己主張なのだと考えられる。 そして後者は、やはり「あんた」という二人称はエルマのことを指しており、エルマの存在が自分を変えてくれたのだということを伝えたかったのではないかというものだ。 エルマと出会う前のエイミーは、夢を諦め、売れることだけを考えながら曲を作っていた。 しかし、エルマと出会い、彼女の価値観や作品に対する考え方に触れていく内に、売れることなんてどうでもいいことなんだと気付かされ、本来のエイミーの音楽を思い出させてくれたのだろう。 そのことを、感謝の意味を込めて「エルマのおかげ」と伝えようとしたが、素直になれないエイミーは「あんたのせい」と皮肉めいて書いてしまったのだと考えられる。 考えたってわからないし 青春なんてつまらないし 辞めた筈のピアノ、机を弾く癖が抜けない ねぇ、将来何してるだろうね 音楽はしてないといいね 困らないでよ 心の中に一つ線を引いても どうしても消えなかった 今更なんだから なぁ、もう思い出すな 「だから僕は音楽を辞めた」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 心の中に線を引いて(He/art:彼/芸術)音楽と距離を置いてみても、指で机を弾く癖が抜けないというこの歌詞からは、エイミーがかつて憧れていたピアニストの夢を未だに捨てきれないでいる様子が伺える。 このことから、やはりエイミーの人生には音楽しかなかったということがわかる。 幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ 満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感 間違ってないよ なぁ、何だかんだあんたら人間だ 愛も救いも優しさも根拠がないなんて気味が悪いよ ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ どうでもいいか あんたのせいだ 「だから僕は音楽を辞めた」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna それと同時に、音楽のことしか考えられない芸術至上主義のエイミーは、大切な筈だったエルマに対しても嫉妬を抱いてしまう己の醜さを「化物みたいな劣等感」と称していたのだと思われる。 僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ 何度でも君を書いた 売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった だから僕は音楽を辞めた 「だから僕は音楽を辞めた」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna そんな音楽に対する葛藤と矛盾が、エイミー自身を狂わせ、行き着いた果てが 音楽を辞めるという決断に繋がってしまったのではないだろうか。 そして手紙の初めには、もうインクが残り僅かになったことが書かれていた。 (実際に文字が少し掠れている) それとエルマに向けて、箱に入れた詩と曲は全て君のものであり、僕にはもう必要ないと述べ、作品のことばかり考える自分自身のことを「芸術狂いの醜い化物」と呼んでいた。 冒頭、インクが切れたようで、文字がかなり掠れている。 そこには、エイミーの人生観が綴られていた。 終わりのない小説は詰まらない。 それは人生にも言えることであり、エイミーにとってその物語は音楽でしか表せないそうだ。 そしてこの箱に入れられた詩曲が、エイミーを象った人生そのものだという。 それから、この手紙を入れた箱はエイミーが送った訳ではないらしい。 どうやらエイミーは、そのうち親切な誰かが送ってくれることを祈って、エルマの住所を書いたメモ書きを箱に添えただけのようだ。 (ということは、にわかには信じがたいが、物語としては本当にそうなったことになるのだろう) その人生は妥協の連続だったようで、エイミーはピアニストに憧れていただけではなく、小説家にもなりたがっていたらしい。 そんな一度音楽を辞めたエイミーが、こうしてまた夢を諦めきれずに詩を書き始めるようになったのはエルマの詩を読んだからだそうだ。 エイミーは、その時触れたエルマの詩に「月明かり」を見たようで、それは夜しか照らさない無謬の光を放っていたという。 そして手紙には、数滴の滲んだ涙と思われる跡が付いていた。 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで 「エルマ」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna.

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だから僕は音楽を辞めた のMVと分析(音域、歌詞、テンポ等)

だから僕は音楽を辞めた歌詞

ボカロPとしても活躍中のコンポーザー・n-buna(ナブナ)と女性ヴォーカル・suis(スイ)によるバンド、ヨルシカが2ndミニアルバム『負け犬にアンコールはいらない』からは1年ぶり、バンド史上初の1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』をリリースした。 青年はどうして音楽を辞め、エルマに手紙を書いたのか。 「できるだけリスナーの想像の余地を残しておきたい」という二人の思いに留意しながら慎重に話を聞いた。 EMTG:今回、インタビューがちょっと難しいなと思ってるんです。 作者に聞きたいことは山ほどあるんですけど、ここで全てを聞いてしまうのも違うなと感じていて。 n-buna:そうですね。 僕もアルバムの概要やコンセプトだけを説明して、あとは、視聴者の方に委ねたいなと思っています。 最低限の情報は与えつつ、あとは自由に楽しんでくださいっていうのが理想的かなって思ってます。 EMTG:では、まず、コンセプトを考えた、発想の出発点からお伺いできますか? n-buna:じゃあ先にこのアルバムの正確なコンセプトについて。 このアルバムは青年がスウェーデンを旅して書き溜めた音楽や手紙の入った木箱が、エルマの元に届いた瞬間を描いたコンセプトアルバムです。 この初回盤の木箱を手に取った人たちが、エルマが手紙を手に取って読み始めたその瞬間を追体験することをテーマにしています。 そもそもの発想の始まりは、アルバムの最後に入っている「だから僕は音楽を辞めた」という曲を結構、昔に作っていて。 アルバム初期の構想段階で、音楽をやめた青年の話をコンセプトにして、この曲を軸に膨らませていこうというところからスタートした感じですね。 EMTG:どのくらい前に作った曲でした? n-buna:3、4年前かな。 初期衝動がだんだん薄れていく中で、どう創作を続けていこうかっていう時期に作った曲だったんです。 あんまり音楽を作れなくなったというか、作らなくなった時があって。 音楽に対しての意義とか、音楽のあり方とか、難しいことをいろいろ考えてたんですよね。 今、振り返ってみると、青臭い歌詞だなと思いますけど、自分では面白いことを考えてたんだなとも思いますね。 EMTG:suisさんはどんな気持ちで歌いました? suis:私は自分が音楽をやめる青年の気持ちになりきってました。 自分にはない記憶を勝手に捏造してというか(笑)、青年になりきって、入りきって演技をする感じで歌ってますね。 EMTG:これまでよりも感情を込めているように感じました。 n-buna:今回に関しては、ヴォーカルのディレクションをあまりせずに、本当に自由に歌ってもらったんですよね。 あえてスタジオに行かずに、音源をもらってあとから聞くっていう制作のやり方になってて。 suis:任せていただきましたね。 1枚目と2枚目のミニアルバムではかっちり歌ってたんですけど、今回から歌を自由にとらせてくれて。 だから、n-bunaくんには「許してくれるかな?」ってドキドキしながら渡したら、許してくれました。 あははは。 n-buna:いや、むちゃくちゃいい! って思ったよ。 自由にやってもらってよかったなって思います。 日付に関しては後ほどお伺いしたいと思いますが、「だから僕は音楽を辞めた」という曲からどう広げていきましたか? n-buna:アルバムがちゃんと作品として機能しつつ、パッケージとして価値のあるものにしたかったので、音源が入っているCDに付随して、物語を補完するものとして何を入れようかっていうことを考えて。 一番最初に、箱を作って、手紙を入れる方式にしようっていうことを思いついたんですね。 音楽を辞めた青年が何を使って自分を表現するかっていうところで、書き溜めた手紙や歌詞をエルマに送るっていうことを考えたところから始まりましたね。 EMTG:青年にとってエルマというのはどんな存在ですか。 それ以外は僕は言わない。 前2作との繋がりも「全然ない」と言い切っちゃうと想像の余地を狭めてしまうので、そこも自由に考えてもらえたらいいなって思ってます。 suis:恋人だったのかもわからないし、友人かもわからないし。 私も青年とエルマの関係性はわからないんですけど、恋人とか友人という枠ではなく、僕にとっては、人生の全てになっちゃうような時間を共にした子だったんだなっていうのは感じていて。 誰の人生にもいる人ではないと思うんですけど、青年にとっては、そういう相手がいたんだなっていうことを想像しましたね。 suis:確かに、ファンの子達とかは、「音楽やめちゃうのかな、n-bunaさん」って思っちゃう人もいるだろうなって思いました、私も。 n-buna:全然ないです。 こういう物語を作りたかったんです。 まだまだ作りたい音楽もありますしね。 僕の創作の原動力は、いかに、自分が美しいと思うものを作れるか。 自分が価値があると思うものを作れるかに尽きる。 そういうところで僕は、きっと、音楽をやってる人とか、ひいては音楽をやっている自分に刺さるものを作りたかったんだなと思います。 EMTG:では、「だから僕は音楽を辞めた」からスタートして、制作上で最後にできた曲は? n-buna:一番最後にできたのは「六月は雨上がりの街を書く」ですね。 このアルバムを作るためにスウェーデンを旅してきて。 僕が幼少の頃に行ったガムラスタンという街にいた時に、雨が降ったんですよ。 めちゃくちゃザーザーと降りまして。 外に出る気が起きないなって思いながら、ホテルの部屋で詞を書いてました。 そこから生まれた曲ですね。 EMTG:この曲には、MVが公開されていた「藍二乗」とつながる《今の暮らしはi 2/君が引かれてる0の下》というフレーズが出てきます。 n-buna:このアルバムのどこかで「藍二乗」の解釈というか、答えあわせを出そうと思ってて。 いろいろな意味はあるんですけど、そのなかの1つですね。 大きな意味での原基は、2乗すると「-1」になる虚数単位の「i」と、インクの藍色の「藍」の2つですね。 視界が涙で滲んで、空の藍色が涙で二重に見える、その二乗ですね。 その3つの意味がタイトルの由来の大きな部分ですね。 EMTG:MVが出た時に「これは-1のことなんじゃないか」っていうコメントもありました。 n-buna:びっくりしましたね、僕。 「あ、わかる人いるんだな」って。 最近、YouTubeやTwitterで、僕の曲や歌詞に関して、いろいろと考えてくれる人が増えてきていて。 たまに設定やプロットを当ててくる人がいるので、こんなに少ない情報からよくやるな? と思いますね(笑)。 そうして、ユーザーの子達が想像を膨らませて楽しんでくれてるのを見るとよかったなと思います。 あと、この曲は、いいヴォーカルが録れましたね。 suis:そうですね。 ブラックというか、感覚として、ちょっと怖い感じですかね。 歌ってる側は青年ではあるんですけど、もしも自分がこの気持ちを迎えるエルマだったとしたら、《あの街で待ってて》って静かに言われたら怖いなって思って。 n-buna:関係性によってはやばいよね。 EMTG:エルマ側の気持ちで聞いてなかったので、それは新鮮な感想です。 女性側の気持ちを考えたことがなかったなって気づきました。 suis:受け取る方としては、ちょっとゾッとするくらいの気持ちの大きさなんですよね。 怖いくらいの気持ちの重さを意識して歌いましたね。 n-buna:さっき、suisさんがブラックって言ったんですけど、別の意味というか、音楽的に黒いノリもあって。 曲調のはねた感じだったりは、サポートドラムのマサックさんがうまく叩いてくださって。 楽曲的にも気に入ってますね。 アルバム全体としては、バンドサウンドによるギターロックやダンスロックが主体ですけど。 n-buna:そうですね。 いろんなインストを作ろうと思いつつ、インスト系は打ち込みを基調としたもので、鍵盤が綺麗に乗るっていうのを意識してやってます。 幼少期だったので思い出の美化もあると思いんですけど、その頃に見た景色は、昔からとんでもなくきれいなんですよ。 僕の中で一番美しい景色がそこにある、という。 それに尽きますね。 久しぶりに行ってみたら、めちゃくちゃよかったです。 ストックホルム自体もいい街ですね。 EMTG:その街の景色や旅が本作の創作にも影響を与えてるんですよね。 n-buna:そうですね。 僕は風景から曲を作り、歌詞を書くタイプなので、全体的にそうです。 スエーデンを旅してた青年が思ったことを書き溜めた手紙や歌詞というアルバムのコンセプトと同じように、僕自身も旅をしながら、歌詞を書き貯めたり、曲を作ったりしてました。 EMTG:旅の中で歌詞や曲を作った順番とアルバムの曲順は違ってますよね。 n-buna:アルバムの方は、この順番でエルマに見て欲しいっていうことですね。 初回生産限定盤の手紙の方は、青年が旅を終える直前に今まで自分が書いたものを見返しながら、適当にどんどん箱に入れていって。 EMTG:アルバムのトレイラー映像はアルバムの曲順とは違ってました。 n-buna:トレイラーの方は日付順ですね。 それが初回盤ですね。 エルマに送られた状態。 suis:あの映像には12曲目の「エルマ」だけ入ってなかったんですね。 n-buna:そうだ。 だから、箱を閉じる直前、一番最後に残ったインクで描いたのが「エルマ」ということになりますね。 あの時点では書かれてないから、入ってなかったんです。 n-buna:だから、このアルバムはいろんな楽しみ方があると思うんですよね。 青年の旅を追体験するっていう意味では、3月から始まり、4月に旅に出て、一番最後に「エルマ」を聞いて、アルバムが終わるっていう風に並び替えて聴くのが一番最適化に近いかな。 手紙の方は実際に日付順に書いていってるので、手紙も合わせて楽しんでもらえたらいいなと思います。 EMTG:手紙の方にある「君の詩に月明かりを見た」という言葉を見た時に、「八月、某、月明かり」やティーザーの英語タイトル「Moonlight」の意味がわかってハッとしました。 n-buna:アルバムのコンセプトの1つとして、一番最初に決めたのが「月明かり」だったんです。 だから、楽曲を聴いて、歌詞や手紙を読んでもらえたら、いろいろとわかることがあると思います。 EMTG:ちなみにsuisさんには物語の内容やそれぞれの登場人物についてどのくらい伝えてるんですか? n-buna:全然教えないんですよ、僕。 suis:そうなんです。 実は手紙もまだあえて読んでなくて。 考察という意味でも楽しめると思うんですけど、私は、発売した時に、この箱をもらったエルマになったつもりで読もうと思ってます。 だから、皆さんにも、青年としての物語の追体験と、エルマとしての追体験を、どっちもして欲しいなって思ってます。 ボックスの大きさも含めて、迫力のある作品になったと思うので、早くみんなの元に届いて、誰かはしゃいでくれるかなっていうのが楽しみでしょうがないですね。 EMTG:音楽=人生と考えている青年の物語を作り終えて、次は何かもう考えてますか? n-buna:この物語がどういう風に終わって、どういう風に続いていくのかは自由に好きに想像してくださいって感じなんですけど、このアルバムの続編を夏にリリースします。 この青年が続きを書いていたのか、全く別の物語なのか。 いろいろと想像しながら楽しみに待っててもらえたらいいなと思いますね。 コードの勉強にもなるし、理論は知っておいて損はないし、何よりこの並びがめちゃくちゃ美しいなって感じてて。 ついつい見たくなってしまうし、定期的に見てますね。 あと、ついでに椎名林檎「「丸の内サディステック」と星野源「恋」のコード進行も調べました。 昨日、アコギを持ってた時にちょっと気になったので。 suis[スイ](Vocal) 私は「黒船/来航」を調べてますね(笑)。 ふとした時に、鎖国していたコミュニティに、新しいものを持ち込んだ人がいた場合に、そのコミュニティはどういう風に崩壊していくんだろうっていうのを考えてて。 ペリーってどんな気持ちだったんだろう? って。 例え、いいものを持ち込むんだとしても、元々あったコミュニティは壊れてしまう。 もしも自分がペリーになったら、どういう覚悟を持って入っていけばいいのかなっていうことを考えてましたね。

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