諏訪敦彦。 誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために 制作、教育、批評

諏訪敦彦監督・渡辺真起子登壇オンライン有料舞台挨拶

諏訪敦彦

来歴 [編集 ] 出身。 ~卒業後、の影響でデザイン学科に入学。 大学在学中からを製作。 『はなされるGANG』で、入選。 卒業後、やの作品に携わる傍ら、テレビの演出を手がける。 1981年から数年にわたっては、映画の自主制作運動の拡大を目指して、この時期に参加していた自主制作映画を中心とする多数の作品の上映会を企画。 この時のスタッフたちはQMF Quest Movie Factory とよばれ、1982年からはを拠点として自主映画の制作を活発に行なうようになる。 に『』で長編映画監督デビュー。 第14回最優秀作品賞、第54回脚本賞を受賞。 ちなみに助監督を務めていたのは。 また、アメリカのドキュメンタリー映画監督のを師とあおぎ、の彼の死の直前まで、広島を舞台にした共同製作作品の構想を練っていた。 の第3作『H story』(主演:)では、監督の『』(原題 Hirosima mon amour ヒロシマ・モナムール)を。 故郷・広島をテーマにしたの代表作をリメイクするという大胆な試みが注目された。 また、この年には監督作品『』に、、として参加している。 、新進芸術家在外研修員としてに留学。 2002年4月1日、母校であるに着任。 の『』では、フランス人キャスト・スタッフで製作。 第58回の国際コンペティション部門で準グランプリにあたる審査員特別賞を受賞した。 には、の映画『』に参加。 2区を舞台にした「」を、・まで用意して撮影した。 『パリ、ジュテーム』は、のある視点部門オープニング上映作品となった。 2008年4月1日、東京造形大学学長に就任。 2009年、との共同監督による『』がに出品される。 2013年、病の療養のために東京造形大学学長を退任。 フィルモグラフィー [編集 ] 長編映画 [編集 ]• (1997年)• H story(2001年)• (2005年)• (2009年)• ライオンは今夜死ぬ(2017年)• 風の電話(2020年公開予定) 短篇映画 [編集 ]• A Letter from Hiroshima 2002年 - オムニバス『After War』の一篇• ヴィクトワール広場(2006年) - オムニバス映画『』の一編• 黒髪(2010年)• 世界の質量 2016年• アルビオンスキンコンディショナー エッセンシャル45周年 ショートムービー 2018年 テレビ [編集 ]•

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『風の電話』劇場上映再開 諏訪敦彦監督&渡辺真起子参加のティーチイン大盛況 /2020年6月8日 1ページ目

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来歴 [編集 ] 出身。 ~卒業後、の影響でデザイン学科に入学。 大学在学中からを製作。 『はなされるGANG』で、入選。 卒業後、やの作品に携わる傍ら、テレビの演出を手がける。 1981年から数年にわたっては、映画の自主制作運動の拡大を目指して、この時期に参加していた自主制作映画を中心とする多数の作品の上映会を企画。 この時のスタッフたちはQMF Quest Movie Factory とよばれ、1982年からはを拠点として自主映画の制作を活発に行なうようになる。 に『』で長編映画監督デビュー。 第14回最優秀作品賞、第54回脚本賞を受賞。 ちなみに助監督を務めていたのは。 また、アメリカのドキュメンタリー映画監督のを師とあおぎ、の彼の死の直前まで、広島を舞台にした共同製作作品の構想を練っていた。 の第3作『H story』(主演:)では、監督の『』(原題 Hirosima mon amour ヒロシマ・モナムール)を。 故郷・広島をテーマにしたの代表作をリメイクするという大胆な試みが注目された。 また、この年には監督作品『』に、、として参加している。 、新進芸術家在外研修員としてに留学。 2002年4月1日、母校であるに着任。 の『』では、フランス人キャスト・スタッフで製作。 第58回の国際コンペティション部門で準グランプリにあたる審査員特別賞を受賞した。 には、の映画『』に参加。 2区を舞台にした「」を、・まで用意して撮影した。 『パリ、ジュテーム』は、のある視点部門オープニング上映作品となった。 2008年4月1日、東京造形大学学長に就任。 2009年、との共同監督による『』がに出品される。 2013年、病の療養のために東京造形大学学長を退任。 フィルモグラフィー [編集 ] 長編映画 [編集 ]• (1997年)• H story(2001年)• (2005年)• (2009年)• ライオンは今夜死ぬ(2017年)• 風の電話(2020年公開予定) 短篇映画 [編集 ]• A Letter from Hiroshima 2002年 - オムニバス『After War』の一篇• ヴィクトワール広場(2006年) - オムニバス映画『』の一編• 黒髪(2010年)• 世界の質量 2016年• アルビオンスキンコンディショナー エッセンシャル45周年 ショートムービー 2018年 テレビ [編集 ]•

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山下敦弘と諏訪敦彦、PFFラインナップ発表会で映画学ぶ学生の現状語る

諏訪敦彦

「監督」はピラミッドの頂点に君臨するような 存在であってよいのか? 映画の制度に挑戦し、その独自のスタイルが 世界を驚かせてきた映画監督・諏訪敦彦、初の単著! 制作、教育、広島、批評……作家としての信念を さまざまな切り口から浮かび上がらせるとともに、 西島秀俊、三浦友和が諏訪敦彦について語る 録り下ろしインタビューも収録。 映画の可能性を信じさせてくれる唯一無二の本! カンヌ国際映画祭やロカルノ国際映画祭で賞を獲得するなど世界的に高い評価を受けてきた諏訪敦彦。 監督としてのみならず映画教育者としても広く活動し、注目を集めている。 6章構成の本書では、自身の歩みを振り返る書き下ろしの随筆、監督作について語ったインタビュー、教育への思いをつづった文章、出身地・広島を軸にしたエッセイ、北野武やペドロ・コスタなどを扱った映画評、西島秀俊や三浦友和といったキャストから見た諏訪に迫るインタビューなどを収録。 制作現場、大学の教室、広島、映画館……さまざまな場所で展開された諏訪の思考が凝縮されており、その全貌を知ることができる。 序章として執筆された書き下ろしの回想は7万字(400字詰め原稿用紙170枚以上)を超える諏訪渾身の随筆になっている。 ほかにカロリーヌ・シャンプティエの未邦訳のエッセイや、諏訪がフランスで発表した『蜂の巣の子供たち』(清水宏監督)の映画評などこの本でしか読めない文章が複数収録。 監督が「自分の思い描く世界」をキャストとスタッフを使い、フィルムの上に構成していくトップダウンな撮影現場を拒否し、映画の制作方法それ自体を模索してきた諏訪。 それは効率を思考のベースにした際、経済的にも組織運営的にも非効率的なものでしかないのだろう。 しかし、だからこそ新しい可能性に開かれているはずだ。 ・「映画ナタリー」でご紹介いただきました。 ・「CINRA」でご紹介いただきました。 ・「J Movie Magazine Vol. 56」でご紹介いただきました。 ・「intoxicate」(2020年2月号)でご紹介いただきました。 ・「芸術新潮」(2020年3月号)でご紹介いただきました。 ・「読書人」(2020年4月3日号)で、書評を掲載いただきました。 《「開かれた映画」のための貴重な思考と実践の軌跡》(評・渡邉大輔氏) ・「図書新聞」(2020年4月4日号)で、諏訪敦彦監督の長文インタビューが掲載されました。 公式サイト 16日間のワークショップで日本チームが作った映画『扉の向こう側』は、クラスの中のいじめの構造を題材にした物語で、クラスを牛耳るいじめっ子の男の子と、いじめられ役を抜け出せない男の子、そしてその関係にくみしない転校生の男の子という三人のシチュエーションとその変化を描いている。 上映を終えると、皆はスクリーンの前に並び、場内からの質問を受ける。 〕 おそらく「監督がいない」「みんなが監督」という答えはサンドリーヌのみならず、会場にいた者に小さな驚きを与えた。 特にヨーロッパにおいて、監督こそが映画の作者であるという神話は根強い。 私は、中学生たちの堂々とした応答を誇らしげに聴きながら、彼らの混沌とした、しかし創造的な制作現場を思い返した。 本当に皆が寄ってたかって、あれこれ議論しながら全員で監督をしていたのだ。 もしかすると、あれは私が長い間理想とし、いまだに実現できていない映画制作の現場だったのかもしれないと思った。 1985年、東京造形大学造形学部デザイン学科卒業。 在学中から山本政志や長崎俊一らの作品にスタッフとして参加する。 1985年、在学中に制作した『はなされるGANG』が第8回ぴあフィルムフェスティバルに入選。 大学卒業後はテレビのドキュメンタリー番組を多数手がける。 同作はロッテルダム国際映画祭やバンクーバー国際映画祭などで賞を獲得する。 その他の長編監督作に『H Story』『ユキとニナ』『ライオンは今夜死ぬ』がある。 また東京藝術大学大学院映像研究科の映画専攻にて教授を務めるほか、子供を対象にした映画制作ワークショップ「こども映画教室」に講師として多数参加するなど、映画教育にも深く関わっている。 長編最新作である『風の電話』は2020年1月24日に公開。

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