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【アズールレーン】プリンツ・オイゲンの評価と性能【アズレン】|アズレン攻略サイト

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______________ アドミラル・ヒッパーの場合 「きょ、今日は付き合って一年でしょ…ケーキ買ってあるから、私の部屋で一緒に食べるわよ! 」 「はあ!? 気がきくですって!? 別にあんたの為じゃないわよ! たまたま今日はケーキを食べたかっただけ! 」 「取り敢えず私の部屋まで行くわよ! オイゲンもいるけど、事情は話してあるから、一緒に何か作ってなさい! 私は別に、あなたの料理嫌いじゃないし…」 「ちょっと! 何ニヤついてんのよ! 馬鹿なことしてないで、さっさと歩きなさい! 」 ______________ 「はぁ…はぁ…あんたが歩くの遅いからこんな時間になっちゃったじゃない! 」 「ヒールを履いてる女性に歩調を合わせるのは常識…?べ、別にあんたに合わせてもらわなくたってね…」 「わ、私はケーキ屋さんに予約したやつを受け取りに行ってくるわ! 冷蔵庫のものは自由に使っていいから、何か作っておいてよね! 」 「言っとくけど、オイゲンに浮気なんてしたら絶対に許さないからね! 」 「そんなこと無いって…信用できないわね。 ほら、目瞑って」 「ちゅ…って、今更照れてんじゃないわよ! 付き合って一年なんだし、その…ベ、別にキスしたいって訳じゃなくて、オイゲンに浮気しないようにマーキングしてるだけだから!」 「じゃ、じゃあ、美味しいの期待してるわよ! 身体はもうこんなに正直なのに…」 「そうね、今日にでもあの子にバラすとしましょう?」 「それだけは駄目って言われても…それじゃ、金輪際あなたはこの私の身体を好きにすることはできないのよ? それでもいいの? 」 「あ、あんた…どうして…」 「最初は私から言い寄ったのよ。 彼も相当気にしてたわよ」 「い、嫌! 嘘嘘嘘! 嘘に決まってる! 」 「姉さん? 私達も一段落ついたから、ケーキ、食べましょ? 」 「や、やめて! 嘘って言ってよ! 今までのこと謝るから! 」 「なんで何も言ってくれないの!? ちょっと…無視しないでってば! 」 『姉さ〜ん! ケーキ美味しいわよ? 』 「い、いや…これは…夢よ…何か悪い…夢…」 「夢じゃないわ。 これは全部あなたが招いたものよ。 あなたが最初からカレを大事に想っていればわからなかったけど…ね」 「いやいやいやいや! いやぁぁぁぁぁぁぁ! 」 結果 妹に寝取られる.

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【アズールレーン】プリンツ・オイゲンの評価とおすすめ装備【アズレン】|ゲームエイト

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【アズレン】重巡洋艦プリンツ・オイゲン:ラインの栄光とクロスロードの閃光 初週ログインボーナスや勲章での交換、建造での入手が可能なため、貴重なSSR艦の中では保有率が高い重巡洋艦プリンツ・オイゲン。 『アズールレーン』 以下『アズレン』)をプレイしたことがある指揮官の中には、その圧倒的な耐久性能に救われた経験を持つ人間も多いはず。 この艦のモデルとなったのが、ドイツのアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦三番艦「プリンツ・オイゲン」だ。 姉妹艦が次々と沈む中で終戦まで生き残り、故郷を離れた南の海で非業の最期を迎えた「プリンツ・オイゲン」の戦いの歴史を解説しよう。 17~18世紀に渡って活躍したオーストリアの軍人、オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリグナンが名前の由来となっている。 アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の誕生 アドミラル・ヒッパー級は、元々は世界列強がワシントン軍縮条約に従い設計した、アメリカのペンサコーラ級やイギリスのカウンティ級といった、基準排水量1万トン級の条約型巡洋艦と呼ばれるクラスに対応して設計されていた。 しかしながら海軍は、より高性能の巡洋艦を求めており、攻撃力および防御力を強化するために、排水量は1万トンを大幅に超過する形で再設計されることとなった。 結果、一番艦の 「アドミラル・ヒッパー」は対外的には10000トン級と発表しながらも、実際には基準排水量14000トン級の重巡洋艦として建造されたのである。 プリンツ・オイゲンの姉にあたる。 全長も基準排水量もオイゲンより小さいという史実を反映してか、オイゲンと比べていろいろとつつましい体型をしているようだ。 二番艦の「ブリュッヒャー」も、ほぼ「アドミラル・ヒッパー」と同様の性能で建造されたが、ソ連が建造を進めるキーロフ級巡洋艦に対抗する形で、三番艦 「プリンツ・オイゲン」はさらに強化されることに決定。 プリンツは他の2艦を上回る基準排水量14680トンの艦として建造される。 1936年4月23日に起工した「プリンツ・オイゲン」は、1938年8月22日に進水するが、就役前の1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発。 就役が急がれることになった。 1940年4月9日にはノルウェーおよびデンマークに対する侵攻作戦である、ヴェーザー演習作戦に参加していた二番艦「ブリュッヒャー」が砲撃および雷撃を受けて早くも戦没してしまい、顔を合わせる機会は永遠に失われた。 「プリンツ・オイゲン」自身も1940年7月1日にイギリスによる爆撃を受け損傷してしまう。 しかし大事には至らず、8月1日に無事、就役を果たすことができた。 ラインの栄光 1941年5月、ドイツ海軍はイギリス本土への補給を断つために大西洋上での通商破壊作戦を行なうと決定。 この作戦は ライン演習作戦と名付けられ、戦艦および巡洋艦からなる水上艦隊を派遣することになった。 当初は「プリンツ・オイゲン」の他には戦艦 「ビスマルク」「ティルピッツ」。 巡洋戦艦 「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」らが参加予定となっていた。 しかしながら「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は修理中であり、「ティルピッツ」の完熟訓練も未だ終了していなかった。 作戦の延期も考慮されたが、戦況は切迫しており、「ビスマルク」「プリンツ・オイゲン」の2隻のみが作戦に投入されることとなる。 プレイアブルキャラクターとしての実装はまだだが、ストーリーには既に顔を出している イギリスを迂回し、グリーンランドとアイスランドの間にあるデンマーク海峡を抜け、大西洋側に出ようとした「ビスマルク」と「プリンツ・オイゲン」は、通商破壊作戦を阻止しようと出撃してきた巡洋戦艦 「フッド」と戦艦 「プリンス・オブ・ウェールズ」を主力とする、6隻のイギリス艦隊と遭遇する。 この戦いに敗れ、戦没。 5月24日。 午前5時52分。 「フッド」の砲撃を皮切りに、両艦隊は砲火を交え始めた。 先手を取ったのは「プリンス・オブ・ウェールズ」のほうだ。 その砲撃は「ビスマルク」を捉え、前部燃料タンクを破壊した。 この損傷により「ビスマルク」の速度は低下し、なおかつ油を垂れ流すはめになり、後に取り返しのつかない事態を招くことになる。 しかし砲戦開始からわずか8分後の午前6時ちょうど、今度は「ビスマルク」の砲弾が「フッド」の弾薬庫を直撃。 弾薬庫が爆発し、「フッド」は巨大な火柱をあげながら前後真っ二つに分断されて轟沈。 乗員1415名が戦死し、救助されたのはわずか3名という大惨事となった。 残った「プリンス・オブ・ウェールズ」に対し、「ビスマルク」と「プリンツ・オイゲン」は集中攻撃を仕掛けた。 多数の直撃弾が司令塔を破壊し、主砲を故障に追いこむ。 戦闘能力を喪失した「プリンス・オブ・ウェールズ」は戦闘を停止し、撤退。 ここに「ビスマルク」と「プリンツ・オイゲン」は、勝利の栄光を掴んだのである。 とくに重油タンクの損傷は、通商破壊作戦に必要な長期航海を不可能にしていた。 そこで「ビスマルク」と「プリンツ・オイゲン」は二手に分かれ、「プリンツ・オイゲン」は通商破壊作戦に向かい、「ビスマルク」はイギリス艦隊をUボートの制海圏へと誘導しつつ、修理のために当時ドイツの勢力下にあった、フランスのブレスト港へと向かうことになった。 しかしイギリスは「フッド」の復讐を果たすために戦艦 「ロドニー」、巡洋戦艦 「レナウン」、空母 「アークロイヤル」、重巡洋艦 「ノーフォーク」「サフォーク」「ド-セットシャー」らを始めとする大量の追撃隊を投入。 「ビスマルク」は粘りに粘ったが逃げ切ることができず、抵抗空しく海中に姿を消したのだった。 しかしブレスト港は頻繁にイギリスの空襲を受けており、「プリンツ・オイゲン」も爆撃を受け損傷していた。 史実では通商破壊戦で大きな役割を果たした そこでドイツは、ドーバー海峡を突破してドイツ本国へこの3隻と護衛の駆逐艦たちを帰還させる 「ツェルベルス作戦」を立案する。 イギリスの目と鼻の先にあるドーバー海峡は水深が浅い上に大量の機雷が散布されており危険は高かったが、海峡を通らない場合、イギリスを大回りしなければドイツにたどり着くことはできない。 リスクは承知の上で、作戦は実行に移された。 1942年2月11日、ブレストを出港したドイツ艦隊は、陸上から発進した味方の戦闘機に護衛されながら、白昼堂々ドーバー海峡を通過する。 この動きは完全にイギリスの意表をついたため、僅かな攻撃を受けたのみで海峡の突破に成功。 しかしながら機雷を完全にかわすことはできず、「シャルンホルスト」は2度、「グナイゼナウ」も1度、機雷によって損害を受けつつも、かろうじてキールの港へ到着。 「プリンツ・オイゲン」は幸運ぶりを発揮したのか機雷を全てかわしきり、無傷での入港を果たした。 史実ではブレストから脱出してたどり着いたキールの港で空爆を受け、破壊されてしまう。 プリンツ・オイゲン大破せり 短期間キールに滞在した後、「プリンツ・オイゲン」は数隻の味方艦を伴いノルウェーへと向かうが、イギリス潜水艦「トライデント」の雷撃を受け、操縦不能に陥るほどの大きなダメージを受けてしまう。 幸い曳航に成功し、たどり着いた港で修理が行われることになった。 この修理期間の間に、思わぬ出会いが「プリンツ・オイゲン」を待っていた。 ノルウェーで活動するためにやってきた 「アドミラル・ヒッパー」と合流を果たしたのだ。 だが「プリンツ・オイゲン」のダメージは深く、共に戦場を駆けることは叶わなかった。 「プリンツ・オイゲン」は完全な修理のためにキールへと戻ることになる。 そして、二度と「アドミラル・ヒッパー」と出会うことは無かった。 対ソビエト戦 ドイツで修理を受けた「プリンツ・オイゲン」はノルウェーに向かおうとするが、既に戦局は悪化しており、ノルウェーへの移動は不可能な状態だった。 その後しばらく士官候補生の練習艦として使われていたが、対ソ連の東部戦線の状況がひっ迫し、海から支援砲撃を行うために派遣される。 順調に任務をこなしていた「プリンツ・オイゲン」だったが、1944年10月15日、軽巡洋艦 「ライプツィヒ」に衝突してしまう。 オイゲンに追突され大破するが、修理されて復帰を果たす。 「ライプツィヒ」は半ば分断されてしまい、大破。 「プリンツ・オイゲン」も大きなダメージを受け、その後、一ヶ月を修理に費やした。 修理完了後は再び地上攻撃支援任務に戻ったが、既に戦局は末期的な状況となっており、軍需品が欠乏。 砲弾にすら事欠くようになった状態で重巡洋艦 「リュッツオウ ドイッチュラント 」と合流し、懸命に任務をこなし続けるが、1945年4月に爆撃を受けた「リュッツオウ ドイッチュラント 」は大破着底。 大戦中はリュッツォウという名前に改名されている。 リュッ ツォウはオイゲンの妹にあたるアドミラル・ヒッパー級五番艦に与えられた名前だったが、 ソビエトに売却されてしまったためにドィッチュラントが名前を継承した。 そして4月30日。 ナチスドイツ指導者、アドルフ・ヒトラーが自殺し、「プリンツ・オイゲン」の戦いは遂に終わりを迎えた。 クロスロードの閃光 ドイツ敗戦後、イギリスを経由してアメリカに引き渡された「プリンツ・オイゲン」は、アメリカ軍の艦籍を与えられ「USS プリンツ・ユージン 」と改名 本記事では「プリンツ・オイゲン」で統一する。 1946年夏。 「プリンツ・オイゲン」はビキニ環礁へと移送される。 この環礁には「プリンツ・オイゲン」以外にも、開戦から終戦までアメリカを支えた航空母艦 「サラトガ」や日本の誇りと呼ばれた戦艦 「長門」など、世界を破壊と混迷の渦に叩きこんだ大戦を、最後まで生き抜いた勇艦が集められていた。 1946年7月1日。 艦船や装備機器に対する原爆の威力を検証するための作戦「クロスロード作戦」が発動。 1発目の原爆の光が、集められた約70隻の船舶に降り注いだ。 2発目の原爆は水中で爆発。 飛散した200万トンの海水が1発目を耐えた艦船に叩きつけられた。 「サラトガ」も「長門」も沈む中、「プリンツ・オイゲン」は2発の原爆を耐えきった。 アメリカ軍は「プリンツ・オイゲン」の調査を行なうためにクェゼリン環礁へと運びこむが、座礁して転覆。 アメリカは放射線を帯びた金属や部品が流通するのを恐れ、解体せずに放棄することを決定。 「プリンツ・オイゲン」はそのまま放置されることとなった。 大戦を、非道な実験を生き延びたプリンツは、戦後70年を過ぎたいまも、クェゼリン環礁で眠りについている。 ltd All Rights Reserved. All Rights Reserved.

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【アズレン】重巡洋艦プリンツ・オイゲン:ラインの栄光とクロスロードの閃光 初週ログインボーナスや勲章での交換、建造での入手が可能なため、貴重なSSR艦の中では保有率が高い重巡洋艦プリンツ・オイゲン。 『アズールレーン』 以下『アズレン』)をプレイしたことがある指揮官の中には、その圧倒的な耐久性能に救われた経験を持つ人間も多いはず。 この艦のモデルとなったのが、ドイツのアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦三番艦「プリンツ・オイゲン」だ。 姉妹艦が次々と沈む中で終戦まで生き残り、故郷を離れた南の海で非業の最期を迎えた「プリンツ・オイゲン」の戦いの歴史を解説しよう。 17~18世紀に渡って活躍したオーストリアの軍人、オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリグナンが名前の由来となっている。 アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の誕生 アドミラル・ヒッパー級は、元々は世界列強がワシントン軍縮条約に従い設計した、アメリカのペンサコーラ級やイギリスのカウンティ級といった、基準排水量1万トン級の条約型巡洋艦と呼ばれるクラスに対応して設計されていた。 しかしながら海軍は、より高性能の巡洋艦を求めており、攻撃力および防御力を強化するために、排水量は1万トンを大幅に超過する形で再設計されることとなった。 結果、一番艦の 「アドミラル・ヒッパー」は対外的には10000トン級と発表しながらも、実際には基準排水量14000トン級の重巡洋艦として建造されたのである。 プリンツ・オイゲンの姉にあたる。 全長も基準排水量もオイゲンより小さいという史実を反映してか、オイゲンと比べていろいろとつつましい体型をしているようだ。 二番艦の「ブリュッヒャー」も、ほぼ「アドミラル・ヒッパー」と同様の性能で建造されたが、ソ連が建造を進めるキーロフ級巡洋艦に対抗する形で、三番艦 「プリンツ・オイゲン」はさらに強化されることに決定。 プリンツは他の2艦を上回る基準排水量14680トンの艦として建造される。 1936年4月23日に起工した「プリンツ・オイゲン」は、1938年8月22日に進水するが、就役前の1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発。 就役が急がれることになった。 1940年4月9日にはノルウェーおよびデンマークに対する侵攻作戦である、ヴェーザー演習作戦に参加していた二番艦「ブリュッヒャー」が砲撃および雷撃を受けて早くも戦没してしまい、顔を合わせる機会は永遠に失われた。 「プリンツ・オイゲン」自身も1940年7月1日にイギリスによる爆撃を受け損傷してしまう。 しかし大事には至らず、8月1日に無事、就役を果たすことができた。 ラインの栄光 1941年5月、ドイツ海軍はイギリス本土への補給を断つために大西洋上での通商破壊作戦を行なうと決定。 この作戦は ライン演習作戦と名付けられ、戦艦および巡洋艦からなる水上艦隊を派遣することになった。 当初は「プリンツ・オイゲン」の他には戦艦 「ビスマルク」「ティルピッツ」。 巡洋戦艦 「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」らが参加予定となっていた。 しかしながら「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は修理中であり、「ティルピッツ」の完熟訓練も未だ終了していなかった。 作戦の延期も考慮されたが、戦況は切迫しており、「ビスマルク」「プリンツ・オイゲン」の2隻のみが作戦に投入されることとなる。 プレイアブルキャラクターとしての実装はまだだが、ストーリーには既に顔を出している イギリスを迂回し、グリーンランドとアイスランドの間にあるデンマーク海峡を抜け、大西洋側に出ようとした「ビスマルク」と「プリンツ・オイゲン」は、通商破壊作戦を阻止しようと出撃してきた巡洋戦艦 「フッド」と戦艦 「プリンス・オブ・ウェールズ」を主力とする、6隻のイギリス艦隊と遭遇する。 この戦いに敗れ、戦没。 5月24日。 午前5時52分。 「フッド」の砲撃を皮切りに、両艦隊は砲火を交え始めた。 先手を取ったのは「プリンス・オブ・ウェールズ」のほうだ。 その砲撃は「ビスマルク」を捉え、前部燃料タンクを破壊した。 この損傷により「ビスマルク」の速度は低下し、なおかつ油を垂れ流すはめになり、後に取り返しのつかない事態を招くことになる。 しかし砲戦開始からわずか8分後の午前6時ちょうど、今度は「ビスマルク」の砲弾が「フッド」の弾薬庫を直撃。 弾薬庫が爆発し、「フッド」は巨大な火柱をあげながら前後真っ二つに分断されて轟沈。 乗員1415名が戦死し、救助されたのはわずか3名という大惨事となった。 残った「プリンス・オブ・ウェールズ」に対し、「ビスマルク」と「プリンツ・オイゲン」は集中攻撃を仕掛けた。 多数の直撃弾が司令塔を破壊し、主砲を故障に追いこむ。 戦闘能力を喪失した「プリンス・オブ・ウェールズ」は戦闘を停止し、撤退。 ここに「ビスマルク」と「プリンツ・オイゲン」は、勝利の栄光を掴んだのである。 とくに重油タンクの損傷は、通商破壊作戦に必要な長期航海を不可能にしていた。 そこで「ビスマルク」と「プリンツ・オイゲン」は二手に分かれ、「プリンツ・オイゲン」は通商破壊作戦に向かい、「ビスマルク」はイギリス艦隊をUボートの制海圏へと誘導しつつ、修理のために当時ドイツの勢力下にあった、フランスのブレスト港へと向かうことになった。 しかしイギリスは「フッド」の復讐を果たすために戦艦 「ロドニー」、巡洋戦艦 「レナウン」、空母 「アークロイヤル」、重巡洋艦 「ノーフォーク」「サフォーク」「ド-セットシャー」らを始めとする大量の追撃隊を投入。 「ビスマルク」は粘りに粘ったが逃げ切ることができず、抵抗空しく海中に姿を消したのだった。 しかしブレスト港は頻繁にイギリスの空襲を受けており、「プリンツ・オイゲン」も爆撃を受け損傷していた。 史実では通商破壊戦で大きな役割を果たした そこでドイツは、ドーバー海峡を突破してドイツ本国へこの3隻と護衛の駆逐艦たちを帰還させる 「ツェルベルス作戦」を立案する。 イギリスの目と鼻の先にあるドーバー海峡は水深が浅い上に大量の機雷が散布されており危険は高かったが、海峡を通らない場合、イギリスを大回りしなければドイツにたどり着くことはできない。 リスクは承知の上で、作戦は実行に移された。 1942年2月11日、ブレストを出港したドイツ艦隊は、陸上から発進した味方の戦闘機に護衛されながら、白昼堂々ドーバー海峡を通過する。 この動きは完全にイギリスの意表をついたため、僅かな攻撃を受けたのみで海峡の突破に成功。 しかしながら機雷を完全にかわすことはできず、「シャルンホルスト」は2度、「グナイゼナウ」も1度、機雷によって損害を受けつつも、かろうじてキールの港へ到着。 「プリンツ・オイゲン」は幸運ぶりを発揮したのか機雷を全てかわしきり、無傷での入港を果たした。 史実ではブレストから脱出してたどり着いたキールの港で空爆を受け、破壊されてしまう。 プリンツ・オイゲン大破せり 短期間キールに滞在した後、「プリンツ・オイゲン」は数隻の味方艦を伴いノルウェーへと向かうが、イギリス潜水艦「トライデント」の雷撃を受け、操縦不能に陥るほどの大きなダメージを受けてしまう。 幸い曳航に成功し、たどり着いた港で修理が行われることになった。 この修理期間の間に、思わぬ出会いが「プリンツ・オイゲン」を待っていた。 ノルウェーで活動するためにやってきた 「アドミラル・ヒッパー」と合流を果たしたのだ。 だが「プリンツ・オイゲン」のダメージは深く、共に戦場を駆けることは叶わなかった。 「プリンツ・オイゲン」は完全な修理のためにキールへと戻ることになる。 そして、二度と「アドミラル・ヒッパー」と出会うことは無かった。 対ソビエト戦 ドイツで修理を受けた「プリンツ・オイゲン」はノルウェーに向かおうとするが、既に戦局は悪化しており、ノルウェーへの移動は不可能な状態だった。 その後しばらく士官候補生の練習艦として使われていたが、対ソ連の東部戦線の状況がひっ迫し、海から支援砲撃を行うために派遣される。 順調に任務をこなしていた「プリンツ・オイゲン」だったが、1944年10月15日、軽巡洋艦 「ライプツィヒ」に衝突してしまう。 オイゲンに追突され大破するが、修理されて復帰を果たす。 「ライプツィヒ」は半ば分断されてしまい、大破。 「プリンツ・オイゲン」も大きなダメージを受け、その後、一ヶ月を修理に費やした。 修理完了後は再び地上攻撃支援任務に戻ったが、既に戦局は末期的な状況となっており、軍需品が欠乏。 砲弾にすら事欠くようになった状態で重巡洋艦 「リュッツオウ ドイッチュラント 」と合流し、懸命に任務をこなし続けるが、1945年4月に爆撃を受けた「リュッツオウ ドイッチュラント 」は大破着底。 大戦中はリュッツォウという名前に改名されている。 リュッ ツォウはオイゲンの妹にあたるアドミラル・ヒッパー級五番艦に与えられた名前だったが、 ソビエトに売却されてしまったためにドィッチュラントが名前を継承した。 そして4月30日。 ナチスドイツ指導者、アドルフ・ヒトラーが自殺し、「プリンツ・オイゲン」の戦いは遂に終わりを迎えた。 クロスロードの閃光 ドイツ敗戦後、イギリスを経由してアメリカに引き渡された「プリンツ・オイゲン」は、アメリカ軍の艦籍を与えられ「USS プリンツ・ユージン 」と改名 本記事では「プリンツ・オイゲン」で統一する。 1946年夏。 「プリンツ・オイゲン」はビキニ環礁へと移送される。 この環礁には「プリンツ・オイゲン」以外にも、開戦から終戦までアメリカを支えた航空母艦 「サラトガ」や日本の誇りと呼ばれた戦艦 「長門」など、世界を破壊と混迷の渦に叩きこんだ大戦を、最後まで生き抜いた勇艦が集められていた。 1946年7月1日。 艦船や装備機器に対する原爆の威力を検証するための作戦「クロスロード作戦」が発動。 1発目の原爆の光が、集められた約70隻の船舶に降り注いだ。 2発目の原爆は水中で爆発。 飛散した200万トンの海水が1発目を耐えた艦船に叩きつけられた。 「サラトガ」も「長門」も沈む中、「プリンツ・オイゲン」は2発の原爆を耐えきった。 アメリカ軍は「プリンツ・オイゲン」の調査を行なうためにクェゼリン環礁へと運びこむが、座礁して転覆。 アメリカは放射線を帯びた金属や部品が流通するのを恐れ、解体せずに放棄することを決定。 「プリンツ・オイゲン」はそのまま放置されることとなった。 大戦を、非道な実験を生き延びたプリンツは、戦後70年を過ぎたいまも、クェゼリン環礁で眠りについている。 ltd All Rights Reserved. All Rights Reserved.

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