第 三 次 世界 大戦。 CiNii Books 内容検索

第三次大戦だ (だいさんじたいせんだ)とは【ピクシブ百科事典】

第 三 次 世界 大戦

Amazonより 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を舞台にした、ドイツ軍が主人公の戦略シミュレーション。 プレイヤーはドイツ軍の指揮官となって、戦車部隊や航空部隊などを指揮し、ヨーロッパ各諸国へと侵略していく。 大きく3つのフェイズに分かれているのが特徴で、兵器の生産や軍団・師団の編成、軍の移動を行う「戦略フェイズ」、各師団の侵攻ルートを指定する「エリアフェイズ」、敵師団との遭遇時に戦闘コマンドの設定を行う「戦闘フェイズ」を用意。 リアルなムービーが収録されているのもポイントのひとつ。 迫力ある戦車同士の戦闘シーンが、ゲームを盛り上げてくれる。 戦略シミュレーションファンに安心しておすすめできるタイトルだ。 (大山泰山) プレイしていて「第二次世界大戦」シミュレーションゲームという風には感じない。 ゲームのシステムの所為もあるがRPG見たいだ。 面白い面は軍団・師団の編成(不満もあるが)や生産ラインの仕組み、歴史に合わせた展開やそれについての参謀のサポート等。 進撃方向を決め後はオートで展開されるのは面白いが、マップ上の軍団(師団)数が少ないので戦線を張って大軍がぶつかり合う様な「第二次世界大戦」的展開にならない所が残念。 ゲーム中で不満に感じたのは戦車師団に歩兵(自動車化も)が編成できない事。 また、軍団間で師団のやり取りもできない。 この当りは柔軟な師団・戦闘団の運用が当たり前だったドイツ軍では考えられない。 人選についてもマンシュタインとビットマンが同列なのもなんだかなあと思う。 ゲームとしては面白い面もあるが、歴史の追体験と言う意味でのシミュレーション性は低い。 ssl-images-amazon. gif" ; imageAssets. ssl-images-amazon.

次の

1910年代のイギリス VSドイツ 第一次世界大戦

第 三 次 世界 大戦

1910年代、日本は大正時代。 世界はの真っただ中にあった。 前半では、イギリスとドイツの植民地政策の比較を見ていく。 後半では、の影響として、イギリスの三枚舌外交と制への流れを見ていく。 前回の復習 のイギリス 、世界のリーダーの地位をカに奪われていく。 外交では、2つの大きなテーマがあった。 米英日の海軍交渉とドイツの戦後賠償金問題である。 内政では、制が導入され、が台頭していく。 イギリスを中心とした VS ドイツを中心とした イギリスの3C政策 イギリスは18世紀から19世紀にかけて3つの重要拠点を得た。 インドの(18世紀半ばのでフランスから獲得)、の(19世紀初頭、時にオランダから獲得)、エジプトのカイロ(19世紀半ば。 に敗れたフランスから獲得。 そのため、イギリスはこの3拠点を結ぶように植民地政策を進めた。 インドとエジプト間では、に介入するようになる。 一方で、エジプトとではアフリカ政策縦断を進めた。 おもにアフリカ大陸東部内陸部の植民地化を進めた。 ドイツの3B政策 一方、イギリスの敵、ドイツは3B政策を進めていた。 3B政策は3C政策と異なり、ほぼ一直線となり、ドイツのベルリンとの()、を結んだ鉄道を建設する政策である。 この鉄道が完成するとドイツはこの鉄道をつうじて中東やインド洋に物が運べるようになる。 この鉄道は、2つの国に警戒感を与えた。 ロシアとイギリスである。 当時の ロシアの重要政策は地中海に港()を持つことであった。 そのため、やにあるボスフォラス海峡にドイツは警戒した。 一方、 イギリスの3C政策にも影響を与えた。 これには2つの理由がある。 1つ目はが、インドとエジプトの中間にあることである。 イギリスはすでに、を大きな影響力を思っていた。 そのため、南部に影響力が持てれば、インドとエジプトを陸路で結べることになる。 もう一つは、ドイツがインド洋に軍港を持つことである。 インドとが同盟を結べばドイツ製軍艦がインド洋に派遣される。 この軍艦がインドに向かう可能性は否定できない。 の前哨戦 バルカン戦争 では、の衰退によって多くのスラブ人国家が成立していた。 地中化進出を狙うロシアはこれらの国を支援した。 一方でそれを警戒していたのがであった。 は同様、の異民族を支配していた。 12年、の前哨戦であるバルカン戦争が勃発した。 第一次バルカン戦争ではとバルカン諸国が戦い、第二次バルカン戦争ではのバルカン諸国間で領土分割戦争が行われた。 イギリスとドイツはこれらの戦争に巻き込ないように必死に交渉を繰り返した。 そのため、これらの戦争はまで拡大することはなかった。 また、このバルカン戦争ででのグルーピングが構成された。 バルカン諸国はロシアと同じイギリス側についた。 一方で、この戦争により、ドイツ、、の絆は強固になった。 それとともに、第二次バルカン戦争にはいぼくしたバルカン諸国のもドイツ側についた。 第三次バルカン戦争としてが勃発 は、で始まった。 は、現在のの首都である。 当時、は領であった。 しかし、バルカン諸国の一つはのを試みていた。 そのような中14年、皇太子がを訪問。 人青年に暗殺された。 王室はこれに激怒。 はへ侵攻した。 この激怒は、イギリスもドイツも止めることはできなかった。 そのため、全世界国民を巻き込むまで発展しまった。 ちなみに、その後のの歴史だが、後、とともに王国を建国した。 1980年代にはが開かれた。 しかし、80年代後半の東欧革命でが解体される。 92年の戦争では甚大な被害が出た。 イギリス政治、制の導入で労働者の発言力が高まる。 イギリスは、中に徴兵制を導入した。 その見返りに18年正教法改正で男子制を導入した。 とは、身分や納税額に関係になく誰でも投票できる選挙のことを言う。 それまでの選挙は、一定の納税額がないとを持てなかった。 ちなみに、日本では7年後の1925年に導入された。 また、徴兵制で男性がいなくなると、女者が登場した。 これを踏まえ、18年選挙法改正では女性も認められた。 これにより、多くの労働者がを得た。 これがのナルド政権につながる。 なお、この頃2大政党は05年から22年まで政権が続いていた。 イギリス経済、困窮するイギリス をやめる。 イギリスは、19世紀初頭からを導入していた。 とは、が通貨と金の交換を認める制度である。 これは通貨の信用力を与える一方で、通貨発行量を限定されることになった。 イギリスので多くの金融機関がイギリスに集まった。 イギリスは世界の銀行と呼ばれるようになった。 このころ、イギリスは、カやドイツに工業生産力は抜かれており、金融産業が重要な産業になっていた。 しかし、が激化すると世界中でを停止。 イギリスも例にもれずを停止した。 19年にがすると、の被害が少ないカがイギリスに先駆けて19年にを復活させた。 (イギリスがに復活するのは後半)これにより多くの金融機関がロンドンからにゅよーくへ移った。 現在でもニューヨークが世界の金融機関の中心であり続けている。 イギリス王室、からに変更 現在のイギリス王室は、である。 しかし、期までと呼ばれていた。 このは、イギリス貴族が18世紀初頭にドイツから招いた王室である。 そのため、ドイツと戦争するうえで、ドイツゆかりのハノーヴァー名乗ることはできなかった。 そのため、中の17年にに改称した。 なお、この時のイギリス国王は10年に即位したジョージ5世である。 19年、はした。 でドイツは、多額の賠償金の支払と海外植民地の放棄を約束させられた。 また、この時、の結成もきまった。 ドイツの海外植民地の分配は、のちに成立するで決定された。 アフリカ植民地はヨーロッパ諸国で分割された。 中国の省は、日本が統治。 太平洋は、赤道以北を日本が、赤道以南をイギリスが譲り受けた。 カはこの条約で植民地を獲得することはなかった。 アジアでのの側についたのは、日本と(政権)である。 省の日本統治には反発した。 この問題はのに持ち越されることになった。 イギリスの外交と植民地政策 法 法は、が何度も提出した法案である。 05年から続く政権によって、14年、法が成立した。 しかし、その後勃発したによって、施行は延期された。 16年、これにする蜂起がおきた。 蜂起である。 ここから、イギリスとは戦争状態になった。 20年にジョージ=ロイド挙国一致内閣によって、統治法が成立。 22年、自由国が成立した。 エジプト化 3C政策の一角、エジプトはこの時、どのような状態だったのだろうか。 エジプトではワフド党のが行われていた。 前までは武力で鎮圧し続けていた。 しかし、で鎮圧をも不可能となった。 19年の会議にはワフド党の代表を派遣。 エジプトの独立を訴えた。 これに応じてイギリス政府は22年、防衛権を維持したうえでエジプト王国の政府を認めた。 三枚舌外交 エジプトの東、アラブではどのようになっていただろうか。 アラビアはのにはいっていた。 イギリスは、インドとエジプトをつなぐルートをめぐってアラビアにも影響力を持ちたかった。 そのため、その時に支援を求めたのがであった。 は当時、教の聖地メッカとの太守であった。 この時に締結したのが=マクホマン協定である。 は、イギリスの支援の下、からのを行っていた。 一方で、の停止と戦費の調達で、イギリスはの販売に苦しんでいた。 そのため、人資本家に支援を求めた。 その見返りに人に約束したのがの建設である。 これがである。 一方で、イギリスは、同盟国のフランス・ロシアと旧の中東領の分割について話し合われた。 イギリスはアラビア南部に興味があった。 そのため、ロシアには、トルコ、ペルシアと係争を続けていた北部地方を、フランスにはシリア北部を、イギリスは、()とシリア南部を分けることととした。 これがサイクス=ピコ協定である。 しかし、この三枚舌外交は、によって全世界に暴露されてしまった。 この問題は、現在も続く問題の最大の要因といわれている。 インド統治法、第三次アフガン戦争 中東のさらに東、3C政策の一角、インドはどのようになっていたのだろうか。 イギリス政府はインド人の支援を求めるためインド人のを約束した。 これによって成立した19年インド統治法である。 これにより地方政治はインド人のが認められた。 しかし、は引き続きインド人が握った。 また、過激なを防止するため、ローラット法も成立した。 インド人はこれを不服とし、らを中心に第一次非暴力不運動が始まった。 アジアでは、 さらに東、中国の情勢はどのようになっていただろうか。 当時、イギリスは長江流域の江南に勢力圏を持っていた。 このころ中国北部では、でロシアが撤退。 省(1890年代の中国分割で獲得)に拠点を持つドイツを日本が攻撃していた。 当時の日本は、を締結し、の勝利で乗りに乗っていた。 このころ、中国はであったが、11年中国南西部ので暴動がおこる。 これをきっかけにが始まった。 12年に最後の皇帝溥儀が廃位。 政権が樹立した。 14年にが樹立すると政権はイギリスに協力した。 省の統治を(政権)と日本で争うことになった。 15年、政権は、日本の21か条の要求で省の日本の支配を認めた。 でもこれが追認された。 しかし、に入り、でこれが無効とされ、に返還された。 でロシアが離脱 は、の真っただ中に行われた。 これにより、は崩壊。 が成立した。 は即時に宣戦から離脱した。 「平和のための布告」を発表。 の原則がここで示された。 カの参戦で、イギリスが勝利 カは、原則としてヨーロッパの戦争には興味がなかった。 そのため、では中立の立場をとっていた。 しかし、カの商業船がドイツの潜水艦に攻撃されると一転、イギリス側(側)で参戦した。 が、「平和のための布告」での原則を示すと、カのウィルソン大統領はこれに対抗するように「14か条の原則」を発表した。 ここでもの原則を示した。 これはへの対抗意識もあったが、イギリスの持つ大量の植民地を戦後カの味方につけたい意味もあった。 これは、後に実現。 カが世界のリーダーになるきっかけとなった。 「14か条の原則」は、崩壊した四国同盟との代わりになる国際組織の提唱がおこなれた。 これがでの形で成立した。 会議では、日本が人種平等原則をの規約に加えようとしていた。 多くの国がこれに賛成した。 しかし、当時のカは移民排斥法を成立。 中国人や日本人のを止めようとした。 そのため、人種平等原則に反対。 これにより、人種平等の原則はの規約にはくわえられなかった。 その後、ウィルソンはカ議会に批准を求めたがで否決。 カはに参加しなかった。 サイドストーリー 号沈没 このころ、ヨーロッパとカを結ぶ大型客船が登場した。 これらの客船は、主にイギリス企業が行っていた。 その一つが号である。 これらの客船には、多くな富裕層が乗船した。 一方で、低料金の客室には、カ大陸で一旗揚げようと多くの移民が乗船していた。 このころカに渡った移民は、イタリア人などの系、やロシアなどの東欧系、人などであった。 これらの移民は、低賃金労働者の提供になるとともに、多くの実業家もこのときカへ移住した。 これらの移民は「新移民」といわれ、人などそれ以前からの移民と競合するようになった。 12年4月、この大型客船号は氷山に衝突し、沈没した。 これは97年にレオナルドディカプリオ主演で映画化された。 南極到達 20世紀に入ると極地探検が行われるようになった。 は極地探検にスコット隊を変遷荒れた。 1900年代、北極点はカのピアリに後れをとった。 1910年代にはいると、極地探検の舞台は南極になった。 イギリスのスコット隊との隊が争った。 11年12月の隊が南極点に到達。 イギリスのスコット隊はその1か月後南極点に到達したが、その後遭難死した。 この頃の日本は 同盟国フランスは sekaishiotaku.

次の

第三次大戦だ (だいさんじたいせんだ)とは【ピクシブ百科事典】

第 三 次 世界 大戦

JEWEL SAMAD via Getty Images US military honor guard fire canons to gun-salute Chine Vice President Xi Jinping during a honor guard at the Pentagon in Washington, DC, on February 14, 2012. China's likely next leader Xi Jinping said Tuesday that Beijing will take concrete steps to improve human rights as he admitted 'there is always room for improvement. まず、年間2ケタの軍事費増強にもかかわらず、中国の軍事力はまだアメリカに歴然と後れを取っている。 中国が、東アジアの日米同盟と対等か、ほぼ対等の軍事力に到達するには、15年から20年かかるだろう。 次に、相互依存と言われているが、アメリカが中国に依存するより、中国はアメリカにより深く依存している。 中国は依然、製品の輸出先として、また先端技術やノウハウの供給源として、アメリカとその同盟関係にあるEUや日本に危ういほど頼っている。 全体的には、中国の国際市場からの依存度は非常に高い。 GDPに占める貿易の割合は53%だ。 中国は石油や鉄鉱石など、多くの死活的な資源を輸入している。 これらの輸入製品は船で運ばれるが、もし軍事衝突が起きた場合、アメリカは海上封鎖をするだろう。 しかし中国は海上封鎖に極端に弱いとみられる。 経済面、そして戦略面の双方の理由から、中国政府は海外市場への依存を減らし、輸出モデルから内需による成長へ転換することを図っている。 海上輸送への依存度を減らすために、中国国内や中央アジア、ロシア、ミャンマーなど隣接地域の地下資源を保護する努力もしている。 しかし、少なくとも今後15年から20年、中国は、西欧諸国が支配権を握る国際的な経済システムに深く依存し続ける。 そして、中国が対峙しなければならないのはアメリカ1国だけではなく、日本やオーストラリア、そしておそらくインドを含むアジアのアメリカ同盟国も含まれる。 このため中国は少なくとも1つの大国、さらにいくつかの小国と同盟を結ぶ必要がある。 中国がアメリカの意思にあえて挑戦するかどうかは、中国とロシアが構成するユーラシアの地政学ブロックにかなり左右される。 これはすでに起きていることだが、もっと時間がかかるだろう。 結論:これから15年から20年以上、アジアでの戦争は考えにくい。 なぜなら中国は慎重にゲームを進めるからだ。 もし軍事衝突が起きたとしても、それは短期間で、中国は優勢なアメリカ軍によって早急に撤収させられるだろう。 しかし、もし中国が1. アメリカとの軍事力の差を埋め 2. 西欧諸国の市場や海外資源からの経済的な依存を減らし 3. 独自の同盟を構築することに成功した場合、2030年前後に、このバランスはかなり変化する。 アジアで起きる第三次世界大戦は、最もありうるケースでも、最もありえないケースでもない。 2034年のシナリオを想像してみよう。 中国は、4年前に台湾との再統一を成し遂げ、インドが総合的な国力を増強させるのに懸念を強めていた。 2030年、インドは中国を抜いて世界で最も人口の多い国になった。 さらに重要なことは、インドは、総人口の年齢構成が中国よりずっと若く、躍動的な経済力を備えていて、中国よりも速いスピードで成長していたことだ。 インドは軍事力の近代化を熱心に推し進め、数年のうちに中国の深刻な脅威となるとみられていた。 アジアの盟主を争うインドと中国の対立は、新たな局面へと至る。 中国は、インドが追いついてくる前に先手を打つ。 これは1914年、ロシアが戦略的な脅威となる可能性が高まり、ドイツがサラエボ事件の勃発とともに戦争へと舵を切った状況と似ている。 ドイツの指導者の間では、1917年までにロシアは軍の近代化計画を完了するので、チャンスはなくなると信じられていたのだ インドによるチベットへの介入や、ヒマラヤ付近の国境紛争を理由に、中国軍は国境地帯へ侵攻し、インドの海軍と空軍基地を攻撃する。 インドへの攻撃は、日本との戦争を意味する。 日本とインドは、将来予想される中国の攻撃に備え、相互防衛条約を2031年に結んでいたからだ。 インドへの攻撃と同時に、中国の海軍は尖閣諸島を占領し、沖縄諸島の占拠を試みる。 2032年、アメリカ軍は日本から撤退する。 日本・インド相互防衛条約と、2029年に日本が核保有国になったことで、アメリカは中国の抑止力としては十分と考えたのだ。 そして中国人は、アメリカが新たな孤立主義に入り、日本を支援しないだろうと考えて、賭けに出る。 しかし、しばらくためらったのち、アメリカは中国との戦争に介入する。 これは1914年7月、もしドイツがフランスとロシアと戦争しても、イギリスは参戦しないだろうと見誤ったことの再現かもしれない。 太平洋でアメリカと同盟を組む、オーストラリアとフィリピンは、NATOのカナダ、イギリス、ポーランドとともに、中国に宣戦布告する。 こうしてアメリカ、インド、日本や他の同盟国による、反中インド太平洋連合が形成される。 この戦争で、中国は孤立していなかった。 2025年、中国、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、そしてパキスタンがユーラシア条約に署名する。 この条約は上海に協力機構を置き、政治機構の軍隊を持つ集団安全保障条約だ。 モンゴルは2033年にこの条約への参加を余儀なくされた。 ロシアは北方から中国を防衛し、資源と軍事物資を提供しただけでなく、中国軍の部隊に参加して戦うため、戦闘機のパイロットや無人機の操縦士ら、少数の軍人を派遣する。 ロシアはインド太平洋戦線に巻き込まれることを最小限に抑える。 ロシアは主に東ヨーロッパ、特にウクライナに忙殺されているからだ。 ウクライナではEUやNATOに支援された親欧米の軍隊が、ウクライナ東部と南部の支配権を取り戻そうとしており、アジアで戦争が起きるまではロシアが支配権を握っていたからだ。 ロシアとEU、NATOは公式には敵対関係にないが、ウクライナでの代理戦争に巻き込まれる。 韓国は2027年から南北の連邦国家になっていて、中立を維持している。 東南アジア諸国(フィリピンを除く)も中立を宣言した。 アフリカ、ラテンアメリカ、中東諸国も同様だ。 その理由の一つに、核兵器の存在があげられる。 原爆を実際に使用することは世界を破壊することだと分かっているので、交戦国は核兵器に訴えることを自制する。 これは、好戦的な国が膨大な化学兵器を保有しながら、報復を恐れて使用しなかった第2次世界大戦の状況と似ていなくもない。 核兵器はまた、長年にわたる敵対関係を緩和する効果もある。 国家は核兵器を最終手段として保有する。 特に、ある国の中心部が侵略されたり、主要都市が空爆された場合に備えてだ。 このことを理解しているので、相手の国も敵を追い詰めない。 これは主要な戦闘地域を、最も人口が多く工業の発達した地域から、徐々に周辺地域へと封じ込めていくことを含む。 さらに、軍事戦略家は過去の教訓として、アジア大陸での大規模な地上戦はほとんど常に負け戦だと知っている。 これらの考察により、第3次世界大戦の主戦場は海と空と平原を離れ、宇宙空間とサイバースペースに移行するだろう。 もう一つ、第3次世界大戦が特異な点は、外交と国際機関が敵国との効果的な意思疎通のチャンネルとして機能し続ける点だ。 国際的な制度構築にかかった数十年が、完全には無駄ではなかったと証明されるだろう。 もし戦争を防ぐのに失敗したとしても、国際機構は少なくとも戦争の範囲を狭め、その効果を限定する役には立つ。 さらに敵国との貿易や金融取引は、韓国、シンガポールやトルコのような中立国経由に切り替えられ、ある段階まで続く。 これは経済的な相互依存と戦争が両立することもあるという最終的な証明だ。 おそらく、私たちが直面するものは「お手軽な世界戦争」と表現できるかもしれない。 それ自体は人的・物的資源の総動員を必要としない。 この点から見ると、第3次世界大戦は過去にあった総力戦の世界戦争より、18世紀のスペイン継承戦争や7年戦争に似たものになる。 過去の消耗戦では資源が急速に底をつくため、数年しか続かなかったのに比べ、戦争の犠牲者が比較的限られたレベルとなり、資源の総動員を必要としないことで、戦争が無限に続くという予期せぬ結果をもたらすかもしれない。 もし戦争に耐えられないレベルまで社会が緊張しないのであれば、人々は戦争とともに暮らすようになる。 こうして、第3次世界大戦は新たな30年戦争、あるいは50年戦争になるのだろうか? とはいえ、そこには常に危険が伴う。 つまり、「人道的」で、激しさのない、戦闘地域も指定されず、行動規範もない戦闘行為は、大量の犠牲者と、自制されたルールのない、より伝統的な殺戮に舞い戻る可能性がある。 核戦争にエスカレートする可能性も排除できない。 結果がどうあれ、この戦争はご存じの通り、確実に世界を終わらせるだろう。

次の