ミリオン 映画。 映画11ミリオン・ジョブの事件は実話でノンフィクション?クリス・ポタミティスは実在した?

11ミリオン・ジョブ : 作品情報

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< ミリオンダラー・ベイビーあらすじ> 31歳のマギー(ヒラリー・スワンク)はトレーラー育ちの、不幸な人生から抜け出そうと、ボクサーを目指す。 彼女は、名トレーナーのフランキー(クリント・イーストウッド)のジムを訪ね、弟子入りを志願する。 しかし女性ボクサーは取らないとフランキーに拒否される。 だがこれが最後のチャンスだと知るマギーは、ウェイトレスの仕事をしながら、激しい練習に打ち込んでいる。 そんな彼女の真剣さに打たれ、雑用係のスクラップ(モーガン・フリーマン)らの勧めもあって、ついにトレーナーを引き受けるフランキー。 彼の指導で、マギーは試合で連勝を重ね、チャンピオンの座を狙うまでに成長する。 同時に、同じアイルランド系の血を引くフランキーとマギーの間には、師弟関係を超えた深い絆も芽生えていく。 そして百万ドルのファイトマネーを賭けたタイトル・マッチの試合を向かえた。 異論があるかもしれないが、個人的には、映画の専門家や俳優・監督の映画インサイダーによって構成されるアメリカ映画アカデミー協会が与える賞とその評価には価値があると思っている。 つまり、この映画は映画の専門家から見て、映画技術が優れていると認められた作品だと言えるだろう。 クリント・イーストウッドの監督賞受賞スピーチ 【スピーチ大意】 ありがとう。 本当にありがとう。 妻に感謝したい、今下にいるけど、最高の仲間だ。 そして母、彼女は1993年 「許されざるもの」アカデミー賞式 にもいた。 そのとき84歳だった。 しかし私と一緒に今晩また来てる。 それで、彼女は96歳だ。 私は彼女に感謝する、彼女の遺伝子をくれたから。 映画は素晴らしい冒険だった。 よく使い込まれた機械のように37日間で映画を撮影した。 もちろん高性能機械とはスタッフとキャストの事だ(スタッフの名前を列挙)今全てを思い出せないけど。 今、ボケはじめてる。 でも、ウォーレン ・ビーティ)君は正しかった。 夕方早くの君の信頼に感謝するよ。 たぶんウォーレン・ビーティがイーストウッドが受賞すると伝えていた? 私がここにいられるのは幸運。 今もまだ働き続けていられることが幸運だ。 外でシドニー・ルメットを見たが、彼は80歳。 私の年齢なんて、子供にすぎない。 だから・・・私はまだやるべきことが多くある。 (階上の席にシドニー・ルメット。 笑って拍手)皆さん本当にありがとう。 感謝する。 更に、モーガン・フリーマンのいぶし銀の演技が、作品に重みと迫力を生んでいると感じる。 モーガン・フリーマンの助演男優賞受賞スピーチ モーガン・フリーマン『N. ストリート スマート』(1987年)、『ドライビング Miss デイジー』(1989年)、『ショーシャンクの空に』(1994年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたが、いずれも逃しており『ミリオンダラー・ベイビー』で初のウィナー。 実力派の受賞にスタンディングオベーションが起きた。 プレゼンターはレネー・ゼルウィガー。 【スピーチ大意】 「良い時間をありがとう。 (拍手が続く)この映画の作成に関わったすべての人々に感謝する。 特に、一緒に仕事させてくれて、ヒラリー・スワンクと働く機会をくれた、クリント・イーストウッドに感謝したい。 そしてアカデミー協会に感謝する。 (天を見て)私は感謝している。 とても。 」 この映画は、映画表現技術として完璧に近いと思う。 また以下の文章に、この 映画に対する悪評が含まれます。 ご注意下さい。 この物語の語りに耳を傾け、物語に身を委ねれば、必然的にただどうしようもない運命に泣くしか、観客に選択肢はない。 しかし、問いたい。 本当に、この物語の結末は安楽死以外の方法が無かったのであろうか。 ラスト・シーン フランキー:俺は首のパイプを抜いて、空気を切って眠らせる。 いいな。 /フランキー:そして、注射する・・・・お前はずっと眠ったままだ。 注射は数回殺せるだけの量のアドレナリンだった。 彼はまた彼女に同じ事をさせたくなかったのだ。 そのあと彼は歩み去った。 私は彼が帰ると思っていた。 死によってしか救い得ない苦悩はあるかもしれない・・・・・・・・ もう末期の病状にあって、激痛以外は感じない状態であれば致し方ないとも思う・・・・ しかし、この女ボクサーの状態がそれに値するだろうか? この作品の結論、尊厳死を巡って議論が巻き起こったというのも当然だろう。 しかし、また『海を飛ぶ夢』というスペイン映画でも、この映画同様に、全身不随の患者が安楽死を選ぶ物語があるところを見ると、ある種の不完全さに対する忌避感が、西洋文明の中には根本的に存在しているのかとも思う。 しかし、問いたい。 この女性ボクサーとそのトレーナーが、 頑固で一徹なアイルランド人であったとしても、全身が動かなくなって心の底から死を望み自ら舌を噛み切り自殺を図ったとしても、それでも、安楽死以外の方法がありはしまいか? もし、それが無いとすれば全身不随となりながらも、人類最高の英知として存在する「ホーキング博士」はいない事になってしまう。 やはり、命がありさえすれば無限の可能性が存在するのだと、私は思いたい。 人は生きれるならば生きるべきで、そのために努力をし続けるべきなのは、生物の基本命題であるからだ。 命があるならば、無限の可能性があるはずなのだ。 映画という不特定多数に対して発信するメディアは、人々に希望を与えるべきだと主張したい。 それゆえ、この映画を認めることは断じてできない。 これは、個人的には、間違った結論を最高の映画的技術を使い、広めようとしているとみなさざるを得ない。 スポンサーリンク 今回は評価が別れますね〜。 レビュアンさんもおっしゃることも分かります。 なかなか難しい問題ですよね、身体が一生動かなくなり家族からも疎まれる・・生きていたくなくなる気持ちも分かります。 そこから立ち直れたら良いのでしょうけど。 病院で働いていたら特に思います。 四肢麻痺で目だけ動いているコミュが取れないから家族はめったに来ない。 介護職員にオムツを代えられ、褥瘡もでき、足も壊死・・ 楽しみも全くない状態で生きていたいのだろうかと? もちろんこの映画の主人公はそこまでの状況では無いですが。 自分は尊厳死という難しい問題を臆することなく描いたこの作品を評価してしまいます。 評価が分かれる作品は面白いですね。 多分現場で実際に苦しんでいる人を見れば、この映画の方がリアルだし、敢えて問題定義をしているのだろうとも思うのです。

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映画『ミリオンダラーベイビー』命の尊厳を問う/感想・ラスト・あらすじ・ネタバレ・解説・批判: レビュー・アン・ローズ

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ボクシングを通じて知り合った人々の人生を見守る映画 『ミリオンダラー・ベイビー』。 ボクシング映画というだけでは語りつくせない重さ・暗さ・後味の悪さが残るストーリーで、考察をしても楽しめる多くの魅力が詰まった映画になっていました。 ストーリーが魅力的だからこそ後味が悪くなっている映画をお求めの方、ボクシングに詳しくない… と視聴を悩んでいる方にもおすすめの映画です!• 映画『ミリオンダラー・ベイビー』の作品情報 あらすじ 赤字まみれの小さなボクシング・ジムを営む老トレーナー・フランキー。 トレーナー兼マネージャーとして次世代のチャンピオンを育てていたある日、「トレーナーになってほしい」と頼み込んでくる女ボクサー・マギーがやってきます。 その頼みを冷たくあしらうフランキーでしたが、マギーはめげずに彼が運営するボクシング・ジムへと飛び込み、直向きに自己流のトレーニングを始めました。 ジムに住み込みで働く男・スクラップはそんなマギーの素質と根性を見抜き、彼女にボクシングの基礎を教えます。 そんな時、ずっと育てていた大切な選手に突然の別れを告げられたフランク。 気落ちするフランクにもマギーは変わらずトレーナーになってほしいと頼み続け、根負けしたフランクがついに彼女のトレーナーを請け負うことになったのですが…。 優秀だが人付き合いの下手なトレーナー。 選手に寄り添う元ボクサーの男。 貧乏・年齢にも負けない女ボクサー。 この3人をメインに、映画前半ではそれぞれの背景や心情を描きながら共にチャンピオンを目指していく姿を、 後半ではボクシングで変わった人生が描かれています。 個人的には映画後半がやはり好きでしたね。 ボクシングをしていたからこそ知ってしまった悲しみという前半とのギャップが実に切なくて、泣けるものがありました。 そんなストーリー・キャラクターが魅力的な映画なので、 ボクシングについて詳しくないという方にもおすすめしたい映画です! 私自身、ボクシングとK-1の違いすら知らないくらいボクシングに疎いのですが、それでも十分に楽しむことが出来ました。 ボクシングについて詳しい方がより深く楽しむことができるとは思いますが、知らないからといって理解できないということはありませんでしたね。 流血シーン・試合シーンがあるのでそういったのが苦手な方には不向きなのかもしれませんが、そうでない方にはぜひとも1度チェックしてみていただきたいです! 影多き主人公・フランキー 過去の出来事を後悔し続けている影多き主人公・フランキーが共感しやすくて、ストーリーにも没頭しやすくなっていましたね。 特に同じ失敗を繰り返さないように今度こそは…と頑張れども、同じ失敗が繰り返されてしまったり、違う失敗が起こってしまう姿が共感しやすかったです。 選手がケガをしないように慎重になっていること。 娘に手紙を出し続けていること。 教会に毎日参加していること。 マネージャーになったこと。 人付き合いが下手なことも相まって、 頑張れば頑張るほどから回ってしまっている感じが、何とも切なくて…個人的には共感できました。 今作はそんな後悔から抜け出そうと頑張っているけどカラ回っている主人公に共感できる方、影の多い主人公に感情移入しやすい方におすすめの映画です! それでもマギーと出会ったことで少しずつ変わり始めていて、とても微笑ましくてこのままハッピーエンドを迎えてほしいなと思っていたのですが…。 何とも後味の悪い結末… もうすぐチャンピオンというところで マギーは試合中に頸椎を損傷し、全身麻痺になってしまいます…。 彼女の夢が断たれたこと自体も悲しかったのですが、主人公に感情移入していた分、一緒にフランキーの希望も断たれたのが何とも切なかったですね。 さらにそれだけでは絶望は終わらず…2人の希望はどんどん失われていきます。 ボクシングをしていた時には前向きでいられたことが、ボクシングを失ったところに襲い掛かってきたことで…生きる希望すらも失ってしまいました。 そんな絶望が何度も続き… 自ら命を絶とうとするマギーの気持ちを汲んで、その手助けをしてしまうフランキー。 彼女亡き後、フランキーはボクシング・ジムも捨てて姿を消してしまいます。 切なさと虚しさと悲しみだけがどんどん押し寄せてくる、少しの希望すらも全て粉砕するような後味の悪い結末でしたね。 イヤミス系の作品とはまた違う、 喉の奥がジクジクと痛くなるような…心にずっとモヤが残るような切ない結末でした。 なので今作はハッピーな映画を求めている人にはおすすめしません。 ストーリーの良さ故にとにかく後味が悪くなっている映画、考察を楽しる映画をお求めの方におすすめな映画ですね…。 もっと言えば 家族のためですね。 フランキーはトレーナーとしては優秀なのですが、ボクシング・ジムが赤字まみれなことからも分かるように経営者・マネージャーとしてはお世辞にも優秀とは言えません。 このままではタイトル戦に勝利してチャンピオンになっても、マネージャーの手腕不足で思うようにお金を稼ぐことができなくなってしまいます。 なのでウィリーは 優秀なマネージャーを求めてフランキーの下を去り、ミッキー・マックの下へ行きました。 これはフランキーに嫌気がさしたからでも、スクラップに提案されたからでも、ミッキー・マックに勧誘されたわけでもなく…。 ビッグ・ウィリーがお金のために、家族のために、 自分で考えてフランキーの下を離れることを決意したのだと思います。 タイトルの意味 『ミリオンダラー・ベイビー』には、 100万ドルの娘・恋人という意味が込められているのだと思います。 100万ドルは世界タイトルを獲った時に手に入る賞金のこと。 ベイビーとは娘のような恋人のようなマギーのことですね。 実際には100万ドルは試合が中断されてしまったので手に入れることができませんでしたが…。 あのまま戦っていればマギーが勝っていたはずだと、フランキーもスクラップも思っているので、 100万ドルの子というのはマギーを指していると思います。 ベイビーには娘のような子というだけではなく、恋人のような愛する人という想いも込められているのではないでしょうか。 マギーはフランキーのことを父親のように慕っていましたが、 フランキーは娘のように想っているけど恋人のように想っている部分もあるのではないかなと思います。 試合前のプロポーズの話の時とか、試合会場に向かう時の乗り物の話の時とか…親子というだけではない、恋人のような愛情を感じたんですよね。 年齢のこと、マギーが自分に父親を重ね合わせていることを知ってか、フランキーがその恋心を告げることはありませんでしたがね…。 個人的には親子のような愛と恋人のような愛の2つが、ベイビーという言葉には込められているのではないかなと思います。 ラストのレモンパイ屋の意味 マギーと里帰りにした時に訪れたレモンパイ屋にフランキーがいたのは、 マギーの思い出に浸りながら、マギーとレモンパイを待っていたのだと思います。 フランキーがマギーに詩を読み聞かせていた時、マギーが「あなたの傍らには本とレモンパイ」「 私が レモンパイを焼くわ」というセリフがあったので…。 フランキーは思い出のあの店で本を読みながら、マギーがレモンパイを焼いてくれるのを待っているのではないかなと思います。 マギーを失ったことでフランキーの精神はすでに壊れかけていると思うので、 もうマギーがいないことすらも気付いていないのではないでしょうか。 もしくは フランキーの中で、マギーはずっと彼の側にいるのかもしれませんね。 そしてあの思い出の店でレモンパイを食べて、一時の平穏な日々を暮らすのではないでしょうか。 どちらの意味だとしても、実に悲しいラストですね…。 娘・ケイティへの手紙が返ってくる理由 娘や家族と疎遠になっているからという可能性もありますが、もしかしたら フランキーの娘・ケイティはすでに亡くなっているのではないでしょうか。 マギーが「家族は?」と聞いたときに、フランキーは「いない」と答えていましたが「娘はいる」と言っていました。 その明らかに矛盾している答えを考慮すると、 フランキーは家族を亡くしたことは認識しているけれど娘を亡くしたことについては理解できずにいるのではないでしょうか。 正確には理解していたのですが、あまりにも悲しすぎる現実から目をそらすために忘れてしまったのではないかなと思います。 ここからはほとんど妄想ですが…。 毎日教会に通っているのは、実は妻と娘の冥福を祈るためでした。 しかし家族を失った悲しみを癒すことはできず、その苦しみを神父様に相談したら「娘への手紙を書こう」と提案されたのではないでしょうか。 日々のこと・謝罪・これからのことなどを書いた娘への手紙を渡してくれたら、神の下にいる娘さんに届けると。 そうしたら少しは気分も晴れるだろうと…。 そしてフランキーは神父様の助言もあって娘への手紙を書き始めたのですが、 精神的に疲れ切っていたフランキーは娘が亡くなっていることを忘れてしまいました。 娘が亡くなっていることを忘れたフランキーは、娘への手紙を届けようと手紙を郵便で出すのでしたが…それが届くことは永遠になく、ずっと返却され続けてしまいます。 だからフランキーは娘に届かない手紙をずーっと出し続けているのではないでしょうか。 普通、手紙が返却されたら住所が間違っているかもと思って送るのをやめるはずですからね。 そういった発想もなく送り続けているのは、やはり 精神がまいって忘れているものの、心のどこかではもう娘がいないことを分かっているからなのではないかなと…。 そして娘への手紙を提案した 神父様は、フランキーが全然手紙を渡してこずにふざけた質問ばかりを繰り返すから、少し苛立っているのかなと思います。 神父様はフランキーが病んでいることなど知る由もありませんから…。 さらにマギーがフランキーに亡き父を重ねていることを思うと、フランキーもマギーに亡き妻・娘を重ねている方がバランスとが取れるかなと。 なので個人的にはケイティへの手紙が返ってくるのは、ケイティがすでに亡くなっているからなのだと思います。 まとめ 最初はボクシングをテーマにしたスポ根映画だと思っていたのですが、暗く・重いストーリーと後味の悪い結末で、良い意味で想像を裏切ってきて驚きましたね。 さらに考察をすることでもっと後味が悪くなるようになっていて、個人的には視聴中から視聴後まで楽しむことが出来て大満足でした! ストーリーが良いからこそ後味が悪くなっている映画がお好きな方、考察がお好きな方におすすめの作品です。 ボクシングについて詳しくない方にもおすすめなので、興味のある方はぜひチェックしてみてください!.

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ミリオンダラー・ベイビー感想。最高の映画との出会いに感謝。キュートな笑顔のマギーと老トレーナー、フランキーの疑似父娘物語【感想】 │ Frentopia

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解説 「巴里の屋根の下」に次ぐルネ・クレール作品で、ジョルジュ・ベル、マルセル・ギュモー合作の喜劇に基いてクレールが台本を作った。 キャメラも前作と同じくジョルジュ・ペリナールとジョルジュ・ローレの担任。 歌詞もクレールが執筆し、アルマン・ベルナール、ジョルジュ・ヴァン・パリス及びフィリップ・パレが作曲した。 主演俳優は舞台出身のエネ・ルフェーヴル、アベン・ガンスに見出されたアナベラ及びヴァンダ・グレヴィルがそれぞれ娘役と妖婦役とを勤め、「巴里の屋根の下」のルイ・アリベール、ポール・オリヴィエ、歌劇俳優のコンスタンティン・ストレスコ等が助演。 1931年製作/フランス 原題:Le Million ストーリー パリ、モンマルトルの小汚いアパートの一室を画家のミシェルと彫刻家のプロスペルとは共同のアトリエとしている。 ミシェルには許嫁がある。 ベアトリスというオペラ・リリック座のダンサーでミシェル等のアトリエと向き合った部屋に彼女は住んでいる。 というのはミシェルがかなり浮気だったからで、今朝も彼女は繕ってやった古い上着を持って来てやるとミシェルは美しい有閑婦人と抱合っているので怒って了う。 そして警官に追われて彼女の部屋に逃込んできたスリの親分クロシャールに気前よく其の上着を遣った。 一方ミシェルは大勢の借金取りに攻められているとプロスペルが富くじが当ったといって駆込んでくる。 ミシェルは百万フランの金持ちになって跳んで喜んだが、肝腎の富くじ券が見つからない。 やっと古い上着のポケットに仕舞い忘れていたのを思い出したが、その時にはクロシャールはオペラ・リリック座のテノール歌手ソプラネリに売払っていた。 でミシェルがクロシャールの骨董店へ行って尋ねるとクロシャールはソプラネリから掏摸取った時計を見せて、此の時計の持主に売ったという。 そこへソプラネリの訴えで警官がやって来て、ミシェルを掏摸と間違えて警察へ引張られ留置場に投込まれる。 身分を証明して貰うつもりで呼んで貰ったプロスペルは上着の行方だけきくとミシェルは見たことも無い男だと証言する。 プロスペルは先に富くじ券を見付けたら半分貰う約束をしたので是が非でも、先に手に入れるつもりなのだ。 でミシェルは借金取り連中を呼んでやっと証明して貰って釈放された。 それからオペラ・リリック座の楽屋裏で、ミシェル、プロスペル、それにクロシァールの部下大勢がソプラネリが舞台に着て出ている上着を取ろうとして大騒ぎを起す。 が結局上着はミシェルとベアトリスが乗ったタクシーの屋根の上にあったのである。 それと気付いて取るとクロシャールの部下が拳銃をつきつけて奪って了った。 ミシェルの部屋では借金取りや近所の人達が集まって景気よくシャンパンを飲んで浮かれている。 ミシェルか落胆して富くじ券は見つからない、と言おうとするところへ、クロシャールが持って来てくれたので、ミシェルは始めて陽気になった。

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