あのねママ聞いて歌詞フル。 小っちゃな戦士 近藤夏子 歌詞情報

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The Mamas and the Papasという1960年代アメリカの4人グループが歌っていたCalifornia Dreamin 夢のカリフォルニア という歌の歌詞の意味がいまいち理解できません。 最初の方は理解できるのですが、なぜ 1 牧師は寒いことが好き 現在彼が住んでいる街? と歌っているのか。 さらに 2 自分 お祈りを捧げている彼 がそこにずっといると知っている?そして終わりの方に 3 もし彼女に散歩に行くと告げていなければ今すぐにでもカリフォルニアへ行くのに、と意味深なことを言っているのか。 以上3点が全く理解できません。 これだけ有名な曲ですので何か心に染み渡るメッセージ的なものが隠れているのではないかと思うのですが、自分にはそのメッセージが届きません。 どなたか解釈の仕方等アドバイスを頂きたくお願いします。 I got down on my knees and I pretend to pray You know the preacher likes the cold He knows I'm gonna stay 「跪き、祈る振りをした」 寒いから教会に立ち寄ったのであって、祈る気はなかったが、突っ立っているだけでは不自然なのでとりあえず祈る格好だけはした。 「牧師としてはこの寒さはありがたいもの。 僕がここにいるのが分かるから」 祈りに来てくれる人がいるのは牧師としては嬉しいことだろう。 これも寒さのおかげだぜ。 He likes the cold. は牧師が本当に言ったことではなく、「寒さ様さまじゃないか」と皮肉っている。 If I didn't tell her I could leave today この部分は2通りに取れます。 1.tell her の内容が I could leave today 「今日出かけると彼女に言わなかったら」 「言わなかったらどうなったのかは」言及されていない 2.tell her の内容が省略されている 質問文のように「もし彼女に散歩に行くと告げなければ今すぐにでもカリフォルニアへ行くのに」と解釈する場合。 どちらの場合も「彼女に告げる」の部分から、今住んでいる寒い町に2人の生活があることが示唆されます。 そこから「もし自分ひとりの自由な状況なら、カリフォルニアに行くのだが」のような、「もしできるなら、2人の生活を犠牲にしてでも暖かいカリフォルニアに行きたい」という強いカリフォルニアへの憧れが現されているようです。 このように解釈しましたが、どうでしょうか。 なるほど、すごく理解できました。 やっぱりこの当時カリフォルニアという場所はアメリカ人の中でも楽園的なイメージがあったのですね。 でももしかするとカリフォルニアに誰か大切な人がいるのかもしれないですね。 寒いという事柄を自分の心に置き換えて、カリフォルニアには自分の奥さんか彼女よりも実は大切な人がいてその人とはやむなく離れ離れになってしまった。 今の冷え切った奥さんか彼女との関係が木枯らしと実に合っていてそれと対比してカリフォルニアへの想いを表現しているのかもしれないですね。 ただ、歌っている方々が夫婦のペアということもありそのような捉え方は少し歪んだ捉え方のような気もしますが…。 歌の解釈に関しては聞き手に委ねられてますからね。 本当の歌の意味を推測するのは楽しいですね。 trgovecさんから教えていただいたニュアンスでこの曲もようやく理解できました。 ありがとうございました。 A ベストアンサー あの歌が意味しているのは、当時彼らが置かれていた状況です。 もともと、スタジオ・ミュージシャンの集まり、メッセージ性の無いバンドで、精神的支柱を持たないままでヒットを連発してしまったために、ヒットを出す事が彼らの存在理由となってしまったのです。 これは彼らにとって心の重荷だったようで、その閉塞感が「チェックインはいつでも出来ますが、チェックアウトする事は出来ません」と言わせたのです。 つまり、ヒット連発を義務付けられ、ロックビジネスという巨額な富を生む産業界からの要請から逃れることは出来なくなっている状況を、入ったら出られない牢獄のようなホテルに例えたものです。 もう一つ、東から全米へと広がっていったロック文化が、西海岸まで行き着いてフロンティアが終わりを告げたということです。 当時のロックは地域によって特徴があり、東海岸ではハード系、西海岸ではウェスタン系のウェストコーストサウンド、南部ではブルース系といった具合でした。 「ホテル・・・」が出た当時は、ロックが成熟期をむかえ、地域特性が崩れ始めた時代です。 西まで進んで行きつくところまで行ってしまったら、あとは融合・拡散が始まって、この地域ならこういうサウンドであるという特徴は失われてきました。 地域に根ざしたサウンドで売っていた彼らの行き場がなくなる、しかしどこへも行き先が見出せないという彼らの懊悩があらわれた歌詞であると思います。 あの歌が意味しているのは、当時彼らが置かれていた状況です。 もともと、スタジオ・ミュージシャンの集まり、メッセージ性の無いバンドで、精神的支柱を持たないままでヒットを連発してしまったために、ヒットを出す事が彼らの存在理由となってしまったのです。 これは彼らにとって心の重荷だったようで、その閉塞感が「チェックインはいつでも出来ますが、チェックアウトする事は出来ません」と言わせたのです。 つまり、ヒット連発を義務付けられ、ロックビジネスという巨額な富を生む産業界からの要請から逃れ... A ベストアンサー いくつかありますが・・・ ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。 簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・ これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。 理由は簡単です。 本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。 このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様です。 気をつけたいものです)。 さらには独自コミュニティを形成してそれを崩そうとせず、あくまで頑なにユダヤであるということを固持してきました。 これは、キリスト教という緩やかなつながりでつながっていた西ヨーロッパ圏では、ユダヤという存在は異端という点がその場に存在しているようなものです。 日本でもそうですが・・・自身たちとは違う風貌、習慣を持つ人は少なからず煙たがられる傾向があります。 さらには、銀行業などの当時「卑しい」とされていた職業で設けていました。 余所者に自身たちの金を吸い上げられるのですから、決して面白いわけはありません。 もう一つが、政治的要因。 政治で、国民の不満をそらす方法に、悪役をつくる、というのがあります。 簡単に言えば、こじつけでも「~が悪い」というのをつくれば、そこに国民の不満がいきますから、政府とかそういったお上に攻撃がこなくなります。 で、ユダヤはキリストを十字架送りにしたというのがありますから、非常に悪役に仕立てやすいのです。 上に書いた民族的な特徴も仕立てやすい理由です。 大体、嫌われる、あるいは嫌われている人、民族には共通項があります。 1.お金にうるさい(理由はともあれお金をためる人全般) 2.異文化的である。 または異文化の性質を強く持っている 3.異郷の地でがっぽり稼ぐ人 4.郷に入らば郷に従えを実践しない人 5.自分たちのほうが偉いと少なからず思っている人 などなど・・・ ただ、こうやって見るとわかるように、どこぞの民族も似たようなことをやっています(車をアメリカで売りまくって、ご当地の車会社から白い目で見られたりする国です。 まあ、いまはあまりやらないのかな・・・?)。 結局、嫌われる民族か、そうでないかというのは、ある意味紙一重なところがあります。 ユダヤが嫌われているのは、これらを満たしてしまっているせいと、国を持たなかったという地政学的悲劇のためと考えています。 いくつかありますが・・・ ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。 簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・ これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。 理由は簡単です。 本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。 このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様で... A ベストアンサー 2の回答者です。 追加情報があります。 先の回答で言及した映画「カリフォルニアドリーミング」(邦題に中黒「・」なし)の主題歌は 「名前のない馬」のヒットで知られる「アメリカ」という3人組バンドによるカヴァーです。 1979年の映画公開にあわせてサントラ盤が発売され, 翌1980年8月のTV放映時もエンドクレジットこの曲が流れたはずですが, 権利の関係か,その後発売されたビデオ版には収録されていないとのこと。 geocities. html 御質問にある1980年のヒットの件は たぶんママス・アンド・パパスによるオリジナル曲の再レコード化ですね。 コダックカラーフィルムのCMソングとして流され評判を呼んだことから再発売につながったようです。 発売年の記載が見つかりませんが, レコード番号から推測して1980年代初頭であることは間違いないと思われます。 下記ページに66年のオリジナル盤ともどもジャケット写真があります。 (というか,販売中です。 rakuten. 2の回答者です。 追加情報があります。 先の回答で言及した映画「カリフォルニアドリーミング」(邦題に中黒「・」なし)の主題歌は 「名前のない馬」のヒットで知られる「アメリカ」という3人組バンドによるカヴァーです。 1979年の映画公開にあわせてサントラ盤が発売され, 翌1980年8月のTV放映時もエンドクレジットこの曲が流れたはずですが, 権利の関係か,その後発売されたビデオ版には収録されていないとのこと。 geocities. html 御質問... A ベストアンサー そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。 国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。 私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。 情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。 ・漢字の学習の底が浅く安易になった、即ち本来の意味に注意を払わない。 原意:古代に枝や縄の結節で数字を示した方法の延長が現在の字形。 九が数の窮まった値として縁起よく、重視されてきた。 【充】:満ちる、満たす、余すところなく、担当する、埋める。 【分】:実は、発音も意味も一意でないのです。 【十分】の発音はshi2fen1 【分】fen1の意味は 部分、分割したもの など。 【十分】の発音はchong1fen4 【分】fen4の意味は 成分、本分、職責 など。 さて、お尋ねのこと「私はじゅうぶん満足した」はどう書くか。 ・単純に量的に満たされたならば【十分】。 ・心または腹が充足感を以って(徐々に内部から)満たされた場合は【充分】。 としたいところです。 【充】については以下の用法で感覚をつかんで下さい。 充電・充填・充足・充実・充溢・充血・充ちる(潮が、悪意に、月が、刑期がetc) ついでに、 「十分ご説明をいただいて、充分満足いたしました」のごとき用法も。 いまや、【十分】【充分】を使い分けるか否かは個人の好みです、読む人の感性に合わなければそれまでのこと、自己満足の域を出ません。 いずれにせよ、公式文書や事務的文書では、好悪を捨てて、国語辞典を標準とするに越したことはありません。 そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。 国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。 私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。 情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。 A ベストアンサー イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。 例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに 組織されています。 つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。 しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して 公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。 ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。 一応これは一つの例ですけど。 というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。 こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。 この説明で理解してくれると思いますけどね。 イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオ...

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休校でイライラするけど…それでも子どもがいるのは楽しい! と思えたわが家のできごと【コソダテフルな毎日 第161話】|ウーマンエキサイト(3/4)

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| | |どうやら私は、最年長の「レイ」の妹らしい。 ママは本当のお母さん。 証拠はないよ。 でも、髪の色とか好きな食べ物が似ている。 一番は、あの歌。 レイが私と居る時に歌うあの歌。 ママからは聞いたことがないし、ハウスの楽譜にもあの歌のリズムや歌詞はない。 なのに、聞いたことがある。 懐かしい。 レイにそういうと、「絶対に今の歌、誰の前でも歌うなよ。 」って言われちゃった。

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曲名はとても有名だし、サビ部分もきっと多くの人が口ずさめると思う。 言わずと知れたおニャン子クラブのデビュー曲です。 でも私は問いたい。 まずMIMIDOSHIMAとは、「耳年増」のこと。 俗に意味するところとしては、「処女だけど性知識に関しては良く知っている、ませたオンナノコ」のようなニュアンスのよう。 「嫌よダメよこんなところじゃ」…! 「週刊誌みたいなエッチをしたい」…! 紹介が遅れましたが、こちらの歌詞を書いたのはあの秋元康氏。 1985年に発売の楽曲なので、彼が27歳の時の作品。 奔放な時代だったのか。。。 セーラー服を脱がさないで スカートまでまくれちゃうでしょ セーラー服を脱がさないで 胸のリボン ほどかないでね 男の子はその時 どうなるの? 興味津々 しちゃうのよ AH- 不思議ね デートに誘われて バージンじゃ つまらない パパやママは知らないの 明日の外泊 ちょっぴり怖いけど バージンじゃ つまらない おばんになっちゃその前に おいしいハートを 食べて… ちょっとピックアップするのに抵抗を感じるほど、さらに過激な歌詞なわけです。 これを今の時代に新曲としてリリースするとしたら、フェミニストから、学者から、批判が殺到することが目に見えています。 もしかしたらアンチ安倍の層も盛り上がるかもしれません 「現代日本はこんな卑猥でだらしのない国になってしまった。 そんな国を作ったのは、日本の性風俗のだらしなさを知りながら容認している行政であり、政府だ!この問題と森友・加計問題に見て見ぬふりを続ける安倍政権はいますぐ退陣せよ!」 の論理ですね。 先日音楽番組で、もうすっかり大人のおねえさんになってしまったおニャン子クラブの面々が、露出度の高い衣装で歌唱していたところを拝見し、 改めて歌詞に衝撃を受けて調べたことがきっかけの、noteでした。 昭和の奔放で寛容な時代。 憧れなくもないです。

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