宗像 サニックス。 ジェイミー・ジョセフと宗像の物語。友情と共に育まれたラグビーへの愛。

宗像サニックスブルース、追加新入団選手のお知らせ|ジャパンラグビートップリーグ公式サイト

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本社所在地 〒812-0013 東2丁目1番23号 設立 事業内容 太陽光発電の販売・施工事業、ホームサニテーション事業、エスタブリッシュメントサニテーション事業、環境資源開発事業 代表者 代表取締役社長 宗政寛 資本金 140億4,183万円(2019年3月31日現在) 発行済株式総数 48,919,396株 売上高 単体478億円、連結507億円 (2019年3月期) 純資産 単体20億円、連結42億円 (2019年3月31日現在) 総資産 単体256億円、連結310億円 (2019年3月31日現在) 従業員数 単体1,683人、連結1,911人(2019年3月31日現在) 決算期 3月31日 主要株主 (株)バイオン 18. 概要 [ ] 産業用太陽光発電の直販・直施工(ソーラーエンジニアリング事業)、戸建て住宅向けサービス(ホーム・サニテーション事業)、法人・事業主向けサービス(エスタブリッシュメント・サニテーション事業)、産業廃棄物の処理・リサイクル(環境資源開発事業)の4事業を展開している。 創業当時からの事業は建築物のシロアリ駆除などの防虫・防腐であるが、1994年より産業廃棄物の中間処理事業を開始。 従来より太陽光を動力とする住宅用床下換気扇を施工していたこともあり、2009年より住宅用太陽光発電システムの販売を開始。 2010年には中国上海市にも工場を建設した。 2012年には公共・産業用太陽光発電システムの販売等を行う(株)サニックスエンジニアリングを設立、2014年6月1日には同社の太陽光事業を分割し本体に吸収した。 ソーラーエンジニアリング事業は一時期はサニックスの売上げの7割を占め、事業の柱となっていたが近年は比率が低下している。 沿革 [ ]• - で建築物等の防虫・防腐に関する管理及び工事を行う会社として創業。 - 三洋消毒株式会社として設立。 - 本社を移転。 (向野2丁目1番1号)• - トータル・サニテーション事業部を新設。 - 社名を現在の株式会社サニックスに変更し、事業部名もホーム・サニテーション事業部(一般向け)とエスタブリッシュメント・サニテーション事業部(法人向け)に変更する。 9月 - (現・)に株式を店頭登録。 9月 - およびの市場第一部に上場。 4月 - 本社を現在地に移転。 2001年 - 廃プラスチックを燃料とする発電事業を行う株式会社サニックスエナジーを設立。 2003年4月からに出力7. 4万キロワットのサニックスエナジー苫小牧発電所を稼働させた。 11月 - 各事業部の本部を東京都港区虎ノ門に移転。 - から6店舗へのからまでの3ヶ月間の業務停止命令と、同社への業務改善指示を受ける。 - ES事業部で大規模な統廃合を実施。 東京・名古屋・福岡エリアへ業務を集中し、合理化を図る。 2009年10月 - 住宅用太陽光発電システムの販売・施工を開始• 5月 - 住宅用太陽光発電の販売実績が10,000件を突破• 2012年7月 - 産業用太陽光発電の販売を開始• 2014年5月 - 新・中期経営計画「サンシャインプラン 2016」を発表した。 2016年度に売上高3300億円(9割が太陽光)を目指すものであった。 2014年9月24日 - 九州電力が再生可能エネルギーの接続申し込みの回答を一時保留することを発表した。 2015年2月 - 「サンシャインプラン 2016」を白紙撤回した。 5月 - 太陽光発電設備の設置や販売不振で業績悪化、グループ従業員2割弱にあたる600人の希望退職を募る。 その後も希望退職者募集を2回行い募集人員は合計1400人となった。 1月10日 - 創業者である宗政伸一社長が同月7日に逝去したことに伴い、宗政寛副社長が同日付で後任の社長に就任。 2018年4月1日 - 子会社の株式会社サニックスエンジニアリングを吸収合併した。 その他 [ ]• 地域のスポーツ文化への貢献を目指し、「サニックススポーツ振興財団」を設立し、にある総合スポーツセンター「」の管理・運営や各種スポーツ大会・事業への協賛を進めている。 特に、に力を入れており、「」が、2016年現在、に属している。 は2000年から毎年行われている。 も行われている。 かつて、のが勤務していた。 かつてはやがCMに出演していた。 そのCMは、幕末に起きたをもじったものであった。 脚注 [ ].

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密に過ごした1年に「後悔なし」。 束田涼太(宗像サニックス)

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ラグビートップリーグの宗像サニックスは5日、19年W杯日本代表のWTBレメキ・ロマノラヴァ(31)と07、15年W杯日本代表のSO小野晃征(33)の加入を発表した。 ホンダからの移籍となるレメキは「サニックスでラグビーをする機会を与えていただき、ありがとうございます。 選手やスタッフのみなさんと一緒に、ラグビーすることを楽しみにしています。 自分の持っている力を発揮し、チームに貢献していきます。 新たなチャレンジをするため、ここに来ました」とチームを通じてコメント。 16年にはリオデジャネイロ五輪の7人制日本代表に選出されている。 サントリーからの移籍となる小野は07ー12年まで宗像に在籍しており、8年ぶりの古巣復帰。 日本代表34キャップと経験豊富だ。 「13年前日本で初めてプレーしたサニックスに戻ってこられて心からうれしく思います。 チームに合流し、サポーターのみなさんとスタジアムで会える日を楽しみにしています」などとチームを通じてコメントした。

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ラグビー宗像サニックスに復帰した元代表の思い「成し遂げなきゃいけないことが」|【西日本スポーツ】

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2015年のW杯で日本は南アフリカから歴史的金星を挙げ、「五郎丸ポーズ」も脚光を浴びたが、その熱は続かなかった。 今回は人気が点から線へとつながった。 いかに面へと広げられるか。 野球やサッカーのように国民的スポーツとしてさらに定着するためには代表だけでなく、ラグビーそのものの魅力を伝え、触れる機会を増やす環境整備も鍵になる。 今年はそういう「勝負の年」だった。 1月に開幕した国内最高峰のトップリーグ(TL)には多くのファンが駆けつけ、裾野でも子どもたちの関心が高まり、体験会等の希望者が急増。 W杯イヤーながらラグビーの認知度や成功を心配した1年前を思えば信じられない光景が広がった。 だが、感染拡大の影響で、その追い風は勢いを失った。 TLや6、7月に国内で予定されていた日本代表のテストマッチも中止。 スーパーラグビー(SR)に参加していた日本チーム、サンウルブズも参入から5シーズンの活動を終えた。 「ラグビーロス」を嘆く声を聞く。 風を完全に止めないために各チームや個人が会員制交流サイト(SNS)を通じ積極的に発信中だ。 選手のプレーをSNSで拡散するプロジェクト「#ラグビーを止めるな2020」は反響を呼んでいる。 アピールの場を失った高校3年生の進路支援が狙いで元日本代表の野沢武史氏が発案。 プロ野球西武のも注目するなど、競技の枠を超え連帯が広がっている。 九州にもラグビーの追い風が吹き始めた。 TLの宗像サニックスに昨秋のW杯日本代表WTBレメキ・ロマノラバと元日本代表SO小野晃征が加入。 昨秋W杯で日本代表の分析担当だった戸田尊さんもトップチャレンジリーグの九州電力に入る。 3人に感じるのは九州からラグビーをもり立てたいという「熱」だ。 07年、15年のW杯に出場した小野の日本でのキャリアはサニックスからだった。 入団発表コメントに「戻ることを決めたのはサニックスと当時の藤井雄一郎監督への忠誠心」とあるように、当時監督で現在日本協会の藤井強化委員長が小野を見いだし、07年に加入。 12年度からはサントリーでプレーしていた。 小野は幼少時に家族でニュージーランド(NZ)へ移住したため日本では無名だった。 NZの強豪クライストチャーチボーイズハイスクールで頭角を現した小野を藤井強化委員長はチェックしていた。 視野の広さや外国出身選手とのコミュニケーション能力、そして171センチ、81キロの小柄ながら激しいタックル。 15年W杯の南アフリカ撃破は小野の存在が大きかった。 古巣復帰に小野は「サニックスで成し遂げなきゃならないことがまだあります」ともコメント。 経験を生かし、TL7位が最高成績のチームの躍進に貢献する。 レメキはW杯前に地獄と形容された合宿中も明るく、彼を囲む取材の輪から笑いがよく起きた。 宗像でも愛されるはずだ。 16年リオデジャネイロ五輪では、7人制での日本4位入賞の原動力。 東京五輪も視野に入れているだろう。 九州から大きな風を巻き起こす準備は始まっている。 (大窪正一).

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