須磨の秋 現代語訳。 源氏物語 「心づくしの秋風」 現代語訳

源氏物語 源氏物語を読む 原文対訳 目次

須磨の秋 現代語訳

『須磨・心づくしの秋風』 「黒=原文」・ 「赤=解説」・ 「青=現代語訳」 原文・現代語訳のみはこちら 問題はこちら 須磨には、 いとど 心づくしの秋風に、海はすこし遠けれ ど、 いとど=副詞、いよいよ、ますます。 その上さらに 心づくし=名詞、深く気をもむこと、さまざまに思い悩むこと ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく 須磨では、ますます物思いを誘う秋風のために、海は少し遠いけれども、 行平の中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひ けむ浦波、 夜々は げにいと近く聞こえて、 けむ=過去の伝聞の助動詞「けむ」の連体形、接続は連用形。 基本的に「けむ」は文末に来ると「過去推量・過去の原因推量」、文中に来ると「過去の伝聞・過去の婉曲」 夜々=掛詞、「夜」と浦波が「寄る」という意味に掛けられている。 げに(実に)=副詞、なるほど、実に、まことに。 本当に 行平の中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだとかいう浦波が、夜ごとに実にすぐ近くに聞こえて、 またなく あはれなるものは、 かかる所の秋 なり けり。 またなく=ク活用の形容詞「またなし」の連用形、またとない、二つとない あはれなる=ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連体形。 「あはれ」はもともと感動したときに口に出す感動詞であり、心が動かされるという意味を持つ。 しみじみと思う、しみじみとした情趣がある かかる=連体詞、あるいはラ変動詞「かかり」の連体形、このような、こういう なり=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形 けり=詠嘆の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形。 御前にいと人少なにて、うち休み わたれ るに、一人目を覚まして、 御前(おまえ)=名詞、意味は、「貴人」という人物を指すときと、「貴人のそば」という場所を表すときがある。 わたれ=補助動詞ラ行四段「わたる」の已然形、一面に~する、全員~する。 ~し続ける、絶えず~する る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形 御前に(お仕えする)人もたいそう少なくて、(その人たちも)全員眠っている時に、一人目を覚まして、 枕をそばだてて四方の嵐を聞き 給ふに、波ただ ここもとに立ち来る心地して、 給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連体形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 ここもと=代名詞、この近く、すぐそば 枕を立てて頭を高くして、四方の激しい嵐の音をお聞きになると、波がすぐそばまで打ち寄せてくるような気がして、 涙落つとも おぼえ ぬに、枕浮くばかりになり に けり。 おぼえ=ヤ行下二の動詞「覚ゆ」の未然形。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「可能」の意味で使われている。 ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形 に=完了の助動詞「ぬ」の連用形、接続は連用形 けり=過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形 涙が落ちたとも気が付かないのに、(涙で)枕が浮くほどになってしまった。 琴をすこしかき鳴らし 給へ るが、我 ながらいと すごう 聞こゆれ ば、 給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の已然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形。 直後に「音」が省略されているため連体形となっている。 もの寂しい、おそろしい、恐ろしいぐらい優れている 聞こゆれ=ヤ行下二段動詞「聞こゆ」の已然形。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。 琴を少しかき鳴らしなさった音が、我ながらひどく物寂しく聞こえるので、 弾きさし 給ひて、 弾きさし=サ行四段動詞「弾き止す」の連用形。 「止す(さす)」は接尾語、~しかける、途中でやめる、と言った意味がある 給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連用形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 途中で引くのをおやめになって、 恋ひわびて 泣く音にまがふ 浦波は 思ふ方より 風や吹くらむ 恋ひわび=バ行上二動詞「恋ひ侘ぶ」の連用形、恋に思い悩む、恋しんでつらく思う「侘ぶ(わぶ)」=つらく思う、困る まがふ=ハ行四段動詞「紛ふ」の連体形、似通っている。 入り混じって区別ができない。 や=疑問の係助詞、結びは連体形となる。 係り結び。 らむ=現在推量の助動詞「らむ」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。 係助詞「や」を受けて連体形となっている。 係り結び。 恋しさにつらく思って泣く声に似通って聞こえる浦波の音は、私が恋しく思う人たちのいる(都の)方角から風が吹いてくるためだからであろうか。 と歌ひ 給へ るに、人々 おどろきて、めでたう おぼゆるに、 忍ば れ で、 給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の已然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形 おどろき=カ行四段動詞「おどろく」の連用形、目を覚ます、起きる。 はっと気づく おぼゆる=ヤ行下二の動詞「覚ゆ」の連体形。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。 忍ば=バ行四段動詞「忍ぶ」の未然形、我慢する、こらえる。 人目を忍ぶ、目立たない姿になる れ=可能の助動詞「る」の未然形、接続は未然形。 「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味がある。 平安以前では下に打消が来て「可能」の意味で用いられた。 平安以前では「可能」の意味の時は下に「打消」が来るということだが、下に「打消」が来ているからといって「可能」だとは限らない。 鎌倉以降は「る・らる」単体でも可能の意味で用いられるようになった。 で=打消の接続助詞、接続は未然形。 とお歌いになっていると、人々は目を覚まして、すばらしいと感じられるのにつけても、こらえられず、 あいなう起きゐ つつ、鼻を 忍びやかにかみ わたす。 あいなう=ク活用の形容詞「あいなし」の連用形が音便化したもの、わけもなく。 つまらない。 気に食わない。 忍びやかに=ナリ活用の形容詞「忍びやかなり」の連用形、ひそかに、そっと、人目を忍ぶ様子だ わたす=補助動詞サ行四段「わたす」の終止形、各々が~する。 一面に~する。 ずっと~する。 わけもなく起き上がっては、人目を忍んで鼻を各々かむのである。 続きはこちら lscholar.

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源氏物語「須磨には、いとど心づくしの秋風に~」解説・品詞分解

須磨の秋 現代語訳

『須磨・心づくしの秋風』 「黒=原文」・ 「赤=解説」・ 「青=現代語訳」 原文・現代語訳のみはこちら 問題はこちら 須磨には、 いとど 心づくしの秋風に、海はすこし遠けれ ど、 いとど=副詞、いよいよ、ますます。 その上さらに 心づくし=名詞、深く気をもむこと、さまざまに思い悩むこと ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく 須磨では、ますます物思いを誘う秋風のために、海は少し遠いけれども、 行平の中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひ けむ浦波、 夜々は げにいと近く聞こえて、 けむ=過去の伝聞の助動詞「けむ」の連体形、接続は連用形。 基本的に「けむ」は文末に来ると「過去推量・過去の原因推量」、文中に来ると「過去の伝聞・過去の婉曲」 夜々=掛詞、「夜」と浦波が「寄る」という意味に掛けられている。 げに(実に)=副詞、なるほど、実に、まことに。 本当に 行平の中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだとかいう浦波が、夜ごとに実にすぐ近くに聞こえて、 またなく あはれなるものは、 かかる所の秋 なり けり。 またなく=ク活用の形容詞「またなし」の連用形、またとない、二つとない あはれなる=ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連体形。 「あはれ」はもともと感動したときに口に出す感動詞であり、心が動かされるという意味を持つ。 しみじみと思う、しみじみとした情趣がある かかる=連体詞、あるいはラ変動詞「かかり」の連体形、このような、こういう なり=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形 けり=詠嘆の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形。 御前にいと人少なにて、うち休み わたれ るに、一人目を覚まして、 御前(おまえ)=名詞、意味は、「貴人」という人物を指すときと、「貴人のそば」という場所を表すときがある。 わたれ=補助動詞ラ行四段「わたる」の已然形、一面に~する、全員~する。 ~し続ける、絶えず~する る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形 御前に(お仕えする)人もたいそう少なくて、(その人たちも)全員眠っている時に、一人目を覚まして、 枕をそばだてて四方の嵐を聞き 給ふに、波ただ ここもとに立ち来る心地して、 給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連体形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 ここもと=代名詞、この近く、すぐそば 枕を立てて頭を高くして、四方の激しい嵐の音をお聞きになると、波がすぐそばまで打ち寄せてくるような気がして、 涙落つとも おぼえ ぬに、枕浮くばかりになり に けり。 おぼえ=ヤ行下二の動詞「覚ゆ」の未然形。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「可能」の意味で使われている。 ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形 に=完了の助動詞「ぬ」の連用形、接続は連用形 けり=過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形 涙が落ちたとも気が付かないのに、(涙で)枕が浮くほどになってしまった。 琴をすこしかき鳴らし 給へ るが、我 ながらいと すごう 聞こゆれ ば、 給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の已然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形。 直後に「音」が省略されているため連体形となっている。 もの寂しい、おそろしい、恐ろしいぐらい優れている 聞こゆれ=ヤ行下二段動詞「聞こゆ」の已然形。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。 琴を少しかき鳴らしなさった音が、我ながらひどく物寂しく聞こえるので、 弾きさし 給ひて、 弾きさし=サ行四段動詞「弾き止す」の連用形。 「止す(さす)」は接尾語、~しかける、途中でやめる、と言った意味がある 給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連用形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 途中で引くのをおやめになって、 恋ひわびて 泣く音にまがふ 浦波は 思ふ方より 風や吹くらむ 恋ひわび=バ行上二動詞「恋ひ侘ぶ」の連用形、恋に思い悩む、恋しんでつらく思う「侘ぶ(わぶ)」=つらく思う、困る まがふ=ハ行四段動詞「紛ふ」の連体形、似通っている。 入り混じって区別ができない。 や=疑問の係助詞、結びは連体形となる。 係り結び。 らむ=現在推量の助動詞「らむ」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。 係助詞「や」を受けて連体形となっている。 係り結び。 恋しさにつらく思って泣く声に似通って聞こえる浦波の音は、私が恋しく思う人たちのいる(都の)方角から風が吹いてくるためだからであろうか。 と歌ひ 給へ るに、人々 おどろきて、めでたう おぼゆるに、 忍ば れ で、 給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の已然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形 おどろき=カ行四段動詞「おどろく」の連用形、目を覚ます、起きる。 はっと気づく おぼゆる=ヤ行下二の動詞「覚ゆ」の連体形。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。 忍ば=バ行四段動詞「忍ぶ」の未然形、我慢する、こらえる。 人目を忍ぶ、目立たない姿になる れ=可能の助動詞「る」の未然形、接続は未然形。 「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味がある。 平安以前では下に打消が来て「可能」の意味で用いられた。 平安以前では「可能」の意味の時は下に「打消」が来るということだが、下に「打消」が来ているからといって「可能」だとは限らない。 鎌倉以降は「る・らる」単体でも可能の意味で用いられるようになった。 で=打消の接続助詞、接続は未然形。 とお歌いになっていると、人々は目を覚まして、すばらしいと感じられるのにつけても、こらえられず、 あいなう起きゐ つつ、鼻を 忍びやかにかみ わたす。 あいなう=ク活用の形容詞「あいなし」の連用形が音便化したもの、わけもなく。 つまらない。 気に食わない。 忍びやかに=ナリ活用の形容詞「忍びやかなり」の連用形、ひそかに、そっと、人目を忍ぶ様子だ わたす=補助動詞サ行四段「わたす」の終止形、各々が~する。 一面に~する。 ずっと~する。 わけもなく起き上がっては、人目を忍んで鼻を各々かむのである。 続きはこちら lscholar.

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源氏物語~須磨・明石・澪標~

須磨の秋 現代語訳

(源氏の君の)おそばには、お付きの人もたいそう少なくて、(それも)みな寝ているのに、(源氏は)ひとり目をさまして、枕から頭を上げて、あたりの嵐を聞いていらっしゃると、波がすぐ枕もとにうち寄せてくる気がして、涙がこぼれ落ちるとも思われないのに、(涙で)枕が浮くほどになってしまった。 (起き上がって)琴を少しかき鳴らしなさった、その音が、自分ながら、ひどくもの寂しく聞こえるので、途中でひきやめなさって、 恋しさにたえかねて泣く声によく似た音をたてる浦波は、私が恋しく思う人のいる都のほうから風が吹いてくるから(あのような音を立てるの)であろうか。 とおうたいになったので、(お付きの)人々は目をさまして、(お声が)すばらしく思われるにつけても、こらえかねて、何ということもなく起き上がっては(すすり泣いて)、鼻をみなそっとかんでいる。 (源氏は)「ほんとうに(この者たちは)どう思っているだろう。 私ひとりのために、親・兄弟や、わずかな間もはなれにくく、それぞれの身分に応じて思っているであろう家から別れて、このようにみな途方にくれていることよ。 」とお思いになると、非常に気の毒で、「(私が)こんなにひどく思い沈む様子を(見ては)、心細いと思うであろう。 」とお思いになるので、昼間は何かと冗談をおっしゃって(沈む気持ちを)まぎれさせ、(また)所在ないのにまかせて、さまざまな色の紙を継ぎ合わせては、和歌をお書きになる。 【語 句】 いとど・・・いよいよ。 いっそう。 心づくしの秋風に・・・さまざまな物思いをかきたてる秋風のために。 けに・・・行平の歌のとおりいかにも。 またなくあはれなるものは・・・この上なくしみじみと物悲しさをおぼえるのは。 うちやすみわたれるのに・・・ずっとみな寝静まっているのに。 枕をそばだてて・・・枕から頭を持ち上げて耳をすまして。 四方の風・・・家の周囲を吹きすぎる強風の音。 波ただここもとに・・・波がすぐこの近くまで。 枕浮くばかりに・・・流れ落ちた涙の中に枕が浮き上がるほどに。 誇張表現。 琴・・・きん。 七絃の琴。 「琴」葉、当時絃楽器の総称であった。 かき鳴らしたまへるが・・・かき鳴らしなさった音が。 すごう・・・気味悪いほど寂しく。 ひきさしたまひて・・・中途でひきやめなさって。 恋ひわびて・・・恋いなやんで。 恋しさにたえかねて。 まがふ・・・区別がつかないほどよく似ている。 似かよう。 思ふかた・・・恋しく思うほう。 都をさす。 めでたうおぼゆるに・・・すぐれて立派に感じられるにつけて。 「めでたし」は美しいものをほめる意。 忍ばれで・・・感動にこらえきれないで。 あいなう・・・わけもなく 鼻を忍びやかにかみわたす・・・みんなそっと鼻をかむ。 一同が泣いている様子。 げに・・・なるほど。 泣くのも道理。 わが身ひとつにより・・・私(=源氏)ひとりの原因で。 はらから・・同じ母から生まれた兄弟姉妹。 転じて、一般に兄弟姉妹。 かたとき・・・「片時」で、ちょっとの間。 ほどにつけつつ・・・身分・立場に応じて。 惑ひ合へる・・・どうしてよいかわからなくなっている。 思い悩んでいる。 いみじうて・・・ひどく気の毒で。 何くれと・・・何やかやと。 あれこれと。 うちのたまひ紛はし・・・(冗談を)おっしゃって自分や従者たちの気をまぎらわし。 つれづれなるままに・・・なすこともなく心寂しいのにまかせて。 いろいろの紙をつぎつつ・・・さまざまな色の紙を次々と継ぎ合わせて。 巻紙のようにすること。 手習ひをしたまふ・・・習字に和歌をお書きになる。 (以前、北山で)人々がお話し申しあげた海や山のありさまを、はるか遠くに想像しておられたが、(今)目の前にご覧になっては、なるほど(人々の言った通り)、想像も及ばない海岸の風景を、たぐいなく上手に書き集めなさっている。 (それを見て人々は)「近ごろの名人としている千枝や常則などを呼んで、(この墨絵に)彩色をさせたいものだ。 」と、みなもどかしがっている。 (源氏の)親しみ深く、りっぱなご様子に、世の中の心配も忘れて、おそば近くに親しくお仕え申すのを、うれしいこととして、四、五人ばかりの者が、(源氏のそばから)いつも離れずにお仕えしているのだった。 【語 句】 唐の綾・・・唐から輸入の綾織りの絹。 いろいろの模様を浮かして織ってある。 かきすさみたまへる・・・慰みにおかきになったもの。 人々の語り聞こえし・・・若紫の巻で、家来たちが源氏に話したことをさす。 はるかにおぼしやりしを・・・都からはるか遠くにご想像になっていたのに。 げに・・・なるほど(人々が語ったとおり)。 二なく・・・二つとなく。 たぐいなく。 上手にすめる・・・名人だとしているような。 名人だといっている。 千枝・常則・・・ともに村上天皇(在位、946-964年)ごろに実在した画工。 作り絵・・・墨がきの絵に絵の具で色をつけること。 仕うまつらせばや・・・(彩色を)させたいものだ。 心もとながりあへり・・・一同いらだたしく思っている。 じれったく思い合っている。 なつかしう・・・親しみを感じる。 心をひきつけられるような。 つと・・・ずっと離れずに。 ぴったりと。 須磨の秋~前栽の花いろいろ咲き乱れ~ 【冒頭部】 前栽の花いろいろ咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊に出でたまひて、たたずみたまふ御さまの、・・・・・・ 【現代語訳】 庭の植え込みの花が色とりどりに咲き乱れ、趣深い夕暮れに、海の見わたされる廊にお出になって、じっと立っていらっしゃる(源氏の)ご様子が、不吉に思われるほどきれいな上に、(須磨という)場所が場所だけにいっそうこの世のものともお見えにならない。 白い綾織りの絹のやわらかい下着に、紫苑色(の指貫)などをお召しになって、(その上に)濃い紫色のおん直衣(を召され)、帯もむぞうさに、うちとけていらっしやるご様子で、「釈迦牟尼仏の弟子。 」と名のって、ゆっくりと(お経を)お読みになっていられる声は、またこの世にないほど(すばらしく)聞こえる。 沖を幾艘かの舟が(舟歌を)大声で歌って漕いで行くのなども聞こえる。 (その舟が)かすかに、まるで小さな鳥が浮かんでいるとばかりに遠く見えるのも心細そうである上に、雁が列をなして鳴く声が(舟を漕ぐ)櫓の音によく似てまちがえそうなのを(聞きながら)、お見つめになって、涙のこぼれるのをおはらいになっているおん手つきが、黒檀のおん数珠に照りはえていらっしやる様子は、故郷に残した女を恋しく思う人々の心を、すっかり慰めてしまうのだった。 (源氏の君が) はつかりは、私が恋しく思う都の人々の仲間だからであろうか、旅の空を(鳴きながら)飛んで行く声が悲しく聞こえることよ。 とおっしゃると、良清が、 (雁の声を聞くと)次から次へと昔のことが思い出されます。 雁はその昔の友ではないのだけれども。 (とよむ。 )民部の大輔が、 自分の心から(故郷である)常世の国を捨てて(旅の空に)鳴く雁を、今まで自分とは無関係なものに思っていたことですよ。 (とよむ。 )前の右近の丞は、 「常世の国を出て旅の空にいる雁も、仲間におくれないで一緒にいる間は心が慰むことです。 友にはぐれたら、どんなでございましよう。 」と言う。 (この前の右近の丞は)親が常陸の介になって下って行ったのにも一緒について行かないで、(源氏の)お供をして来ているのであった。 心の中では思い悩んでいるに違いなかろうが、(表面は)得意そうにふるまって、平気なふうに立ち回っている。 【語 句】 前栽・・・庭先の植え込み。 庭の草木。 いろいろ・・・色とりどりに。 さまざまな色に。 おもしろき・・・風情のある。 美しい。 海見やらるる廊・・・海が自然に見渡される廊。 ゆゆしう清らなるに・・・気味悪いほど美しい上に。 所がらは・・・場所が場所であるから。 白き綾・・・白い綾織りの絹で作られた着物。 単衣で下着として用いたもの。 なよらかなる・・・やわらかな。 しなやかな。 紫苑色・・・紫苑色の指貫(さしぬき)。 紫苑色は襲(かさね)の色目で、表は薄紫色、裏は青色の配合をいう。 指貫は袴(はかま)の一種。 奉りて・・・「奉る」は「着る」の尊敬語。 こまやかなる御直衣・・・色の濃い御直衣。 ここは紫色。 直衣は公卿の通常服。 「のうし」と読む。 しどけなく・・・むぞうさに。 しまりなく。 ゆるるかに・・・ゆるやかに。 ゆっくりと。 世に知らず・・・この世のものとも思われないほど(すばらしく)。 沖より・・・沖を通って。 うたひののしりて・・・歌を大声で歌って。 「ののしる」は、大声をあげる意。 ほのかに・・・かすかに。 ただ・・・まるで。 ちょうど。 かぢの音にまがへるを・・・櫓のの音に聞き違えるほどよく似ているのを。 「かぢ」は舟を進める道具。 櫓や櫂のこと。 うちながめたまへるを・・・物思いに沈んでぼんやりお見つめになって。 黒き御数珠・・・黒い玉の御数珠。 映えたまへるは・・・(源氏の白い手が黒い数珠に)うつり合っていらっしゃる様子は。 故郷・・・京をさす。 人々・・・供の人々。 源氏の家来。 みな慰めにけり・・・すっかり慰めてしまった。 思いをすべて晴らしてしまった。 はつかり・・・北方からその秋初めて渡って来た雁。 つら・・・「連・列」で仲間。 良清・・・播磨の守の子で源氏の家来。 かきつらね・・・次々と続けて。 その世・・・その当時。 都にいた当時。 民部の大輔・・・民部省の次官。 惟光(これみつ、源氏の乳母の子)をさす。 心から・・・自分の心から。 自分の意志で。 常世・・・常世の国。 不老不死の楽土で、きわめて遠くにあると想像された国。 雁はそこを本国とすると考えられた。 雲のよそ・・・遠く離れた空のかなた。 自分とは無関係なもの、の意を掛ける。 「雲」は「雁」の縁語。 つらにおくれぬほど・・・仲間に遅れないで一緒にいる間は。 源氏の君をはじめ、みんなと一緒にいられる間は、の意。 友まどはしては・・・友がどこへ行ったかわからないようになっては。 友だちにはぐれたなら。 いかにはべらまし・・・どんなでございましょう。 常陸・・・常陸の介。 誘はれで・・・親の誘いにも従わないで。 下には・・・内心では。 心の中では。 思ひくだく・・・いろいろ考え悩む。 さまざまに思い乱れる。 ほこりかに・・・「誇りかに」で、得意そうに。 誇らしそうに。 もてなして・・・行動して。 ふるまって。 つれなきさまに・・・何でもない平気な様子で。 しありく・・・事を行いながら日を過ごす。 須磨の秋~月、いと花やかにさし出でたるに~ 【冒頭部】 月、いと花やかにさし出でたるに、今宵は、十五夜なりけりとおぼし出でて、殿上の御遊び恋しう、・・・・・・・ 【現代語訳】 月がたいそう美しくさしのぼったので、(源氏の君は)「今夜は(八月)十五夜であったなあ」とお思い出しになって、清涼殿の殿上の間での(管絃の)おん遊びが恋しく思われ、「あちこちの婦人たちも(この月を)ながめて物思いにふけっていらっしゃるだろうよ」と、お思いやりなさるにつけても、月の面ばかりをじっとお見つめになってしまわれる。 「二千里の外の故人の心。 」と(詩を)吟じなさると、(それを聞く人々は)いつものように、涙をおさえることができない。 入道の宮が、「霧や隔つる」とおっしゃった時のことが、言いようもなく恋しく、あの折りこの折りのことをお思い出しになると、よよと声をあげてお泣きになってしまわれる。 (人々が)「夜もふけました。 」こと申しあげるけれども、やはり(奥に)おはいりにならない。 (源氏は) 月を見ている間だけはしばらく心が慰まることだ。 恋しい人にふたたびめぐりあう時節も都も、天上の月の都のようにはるかに遠いけれども。 (とお詠みになる。 )あの夜、帝がたいそうなつかしく昔の話などをなさったご様子が、(亡き父)桐壷院に似ていらっしゃったことも、なつかしくお思い出し申しあげなさって、「恩賜の御衣は今ここにあり。 」と吟じながら(寝室に)おはいりになった。 (帝からいただいた)おん衣は、(詩のとおり)ほんとうに身から離さないで、そばにお置きになっている。 (帝のお心を思うと)つらいとばかり、ひとすじに思うわけにいかないで、つらいと思う点でもなつかしいと思う点でも涙にぬれる私の袖であるよ。 【語 句】 花やかに・・・はでに美しく。 目を奪うように美しく。 さし出でたるに・・・出たので。 殿上の御遊び・・・清涼殿の殿上の間で行われる音楽の催し。 所々・・・おん方々。 あちらこちらの源氏が愛した婦人たちをさす。 ながめたまふ・・・物思いにふけってご覧になる。 月の顔・・・月の面。 月の姿。 まぼられたまふ・・・「まぼろ」は「まもる」と同じく、見つめる、見守る意。 誦じ・・・口ずさんで。 吟詠して。 例の・・・例のように。 入道の宮・・・藤壺をさす。 よよと・・・おいおいと。 声をあげて泣くさま。 上・・・朱雀帝をさす。 なつかしう・・・親しみ深く。 まことに・・・道真の詩にあるとおり、ほんとに。 憂し・・・つらい。 薄情である。 ひとへに・・・いちずに。 ひたすら。 思ほえで・・・「思ほゆ」は思われる意。 明石~なほ雨風やまず、雷鳴りしづまらで~ 【冒頭部】 なほ雨風やまず、雷鳴りしづまらで日ごろになりぬ。 ・・・・・・ 【現代語訳】 依然として雨と風がやまず、雷もしずまらないで数日になった。 (そのため、源氏の君には)いっそうもの寂しいことが数限りなく(わいて)、過去も未来も悲しいご様子のために、心強くお思いになることができず、「どうしたものだろうか。 こんな天変があるからといって都に帰るとしても、まだ公式に許しも出ていなくては、人の物笑いになることが(かえって)まさるだろう。 やはり、ここよりもっと深い山を捜し求めて、行くえを消してしまおうか」とお思いになるにつけても、「波や風に驚かされて(深い山にはいった)などと、人が言い伝えることになっては、後の世まで、ひどく軽率の評判を流してしまうだろう」とお迷いになる。 おん夢の中にも、(前に見たのと)全く同じ様子をしたものばかり現われて来ては、(源氏に)つきまとい申す、とご覧になる。 雲の晴れ間もなくて明け暮れる日数が多くなるにつれて、(源氏は)都のこともいっそう気がかりで、「このまま、わが身をうち捨ててしまうのであろうか」と心細くお思いになるが、頭を(そとに)さし出すこともできない空の荒れように、(京からお見舞いに)出かけてくる者もない。 (わずかに)二条院から、むりに、(使者が)みすぼらしい姿で、びしょぬれになってやって来た。 道の途中ですれ違っても、人間か何かとさえお見分けできそうもなく、(いつもなら)まっさきに追い払ってしまうに違いない身分の低い男が、(京から来たというので)なつかしくしみじみと心に感じられるにつけても、(源氏は)自分ながらもったいなくて、卑屈になってしまった(自分の)心の状態が自然に思い知らされる。 (紫の上の)お手紙には、 あきれるほど少しもやまない、このごろの天候に、(心ばかりか)いよいよ空までもふさがる気持ちがして、はるかにながめやる(須磨の)方角も(心を慰める方法も)ないのでございます。 (須磨では)浦風がどんなに激しく吹いていることでしょう、(あなたを)はるかに思いやっている私の袖をぬらす涙の波の絶え間ないこのごろは。 などと、しみじみ心にしみる悲しいことの数々を書き集めなさっていた。 (源氏はお手紙を)あけるとすぐ、汀の水も(涙で)きっと増さりそうに、(何も見えず)目も暗くなる気持ちがなさる。 (使いの者は)「京でもこの雨風はたいそう不思議な何かの前兆だといって、仁王会などを行ないなさるだろうと聞きました。 宮中に参内なさる上達部なども、(雨風のために)全部道がふさがって、政務も止まっております。 」など、はきはきとではなく、ぎこちなく(ぽつりぽつりと)話すけれども、(源氏は)都のほうのこととお思いになるので、気がかりになって、おそば近くにお呼び出しになって、たずねさせなさる。 (使いの者は)「ただもう、いつもの雨が少しの休みもなく降って、風は時々吹き出して、(それが)幾日にもなりますのを、普通でないこととして驚いているのでございます。 (でも)ほんとにこうも地の底に通るほどの雹が降り、雷のやまないことは(都では)ございませんでした。 」などと、(須磨の)ものすごいありさまに驚きおそれている顔が非常につらそうなのにつけても(源氏の従者たちは)心細さが増さるのだった。 【語 句】 なほ・・・依然として。 日ごろ・・・数日。 かなり多くの日数。 来し方行く先・・・過去、未来 いかにせまし・・・どうしたらよいかしら かかりとて・・・このような天変があるからといって 世にゆるされもなくては・・・世間から許されていなくては。 公に許しが出なくては。 人わらはれなること・・・人から笑いあなどられること。 物笑い。 あと絶えなまし・・・行くえをくらましてしまおうか。 身をかくしてしまおうか。 波風に騒がれてなむと・・・波や風におどかされて(深い山に逃げ込んだ)と。 軽々しき名・・・軽率だという評判。 身分にふさわしくない行為だという評判。 ただ同じさまなるもの・・・ちょうど同じ様子をしたもの まつはし聞こゆ・・・つきまつわり申しあげる まつはす・・・まつわりつく いとどおぼつかなく・・・(音信がないため)ふだんよりもいっそう気がかりで かくながら・・・こうして須磨にいるままの状態で ながら・・・…のままで はふらかしつるにや・・・身をうち捨ててしまうのだろうか はふらかす・・・落ちぶれさす、放浪させる 空の乱れに・・・天候の荒れもようのために あながちに・・・むりに、しいて あやしき姿・・・みすぼらしい姿。 見苦しい格好。 そぼつ・・・濡れる 道かひ・・・道の途中で行きちがう。 行き違い。 賤の男・・・身分のいやしい男 われながらかたじけなく・・・自分ながら自分がもったいなく思われて 屈しにける心のほど・・・卑屈になってしまった心の程度。 いくじのなくなった心。 あさましく・・・あきれるほどひどく をやみなき・・・少しの間もやむことがない 気色・・・様子、天候のありさま うら風やいかに吹くらむ・・・須磨では浦風がどんなに(はげしく)吹いていることでしょう 波間なし・・・波の立たない間がない、いつも波が立っている ひきあくるより・・・手紙を開くとすぐ より・・・…するやいなや、…とすぐ 汀まさりぬべく・・・汀の水も増すに違いなく 汀・・・水ぎわ かきくらす・・・目の前がまっくらになる もののさとし・・・何かの前兆。 神仏のお告げ。 上達部・・・公卿。 三位以上の殿上人。 道閉ぢて・・・交通がと絶えて はかばかしうもあらず・・・はきはきと話すのでもなく かたくなしう・・・ぎこちなく。 聞きぐるしく。 …なす・・・ことさらに…する いぶかしうて・・・気がかりで。 心がひかれて。 なんとなく知りたくて。 問はせたまふ・・・尋ねさせなさる いとかく・・・ほんとにこのように。 氷・・・雹。 おぢて・・・恐れて。 こわがって。 からきにも・・・つらい様子につけても からし・・・つらい、苦しい。 明石~かくしつつ世は尽きぬべきにや~ 【冒頭部】 かくしつつ世は尽きぬべきにや、・・・・・・ 【現代語訳】 (源氏の君は)「このように悪天候が続いて、この世は滅亡してしまうのだろうか」とお思いになっていると、その翌日の明け方から風が激しく吹き、潮が高く満ちて、波の音の荒いことは岩も山も(くだかれて)残りそうもない様子である。 雷の鳴り(稲妻の)ひらめくありさまは、なんとも(言葉で)言いようもなくて、(頭上に)落ちかかったと思われるので、(源氏のおそばに)いる者すべて正気の人はいない。 (従者たちは)「われわれはどんな罪を犯して、こんな悲しい目にあっているのだろう。 父母にも対面せず、かわいい妻や子の顔も見ないで死んでしまいそうだなあ。 」と嘆く。 源氏の君はお心をしずめて、「どれほどのあやまちによって、この海辺で命を終わるのであろうか(たいした罪も犯していないから、ここで命を終わることはあるまい)」と、気を強くお思いになるが、(周囲の従者たちが)ひどく騒がしいので、さまざまな色の幣帛を(神に)お供えになって、「住吉の神よ、この近くの地域をしずめ守りたまう、(また)まことに本地垂迹の神さまならば(私を)助けたまえ。 」と、多くの大願をお立てになる。 (従者たちは)めいめい自分の命の惜しいのはさておいて、このような(高貴の)おん身が前例のない状態で死んでしまわれそうなことが非常に悲しいので、心をふるい起こして、少しでも気のたしかな人はみな、「わが身に代えて源氏のおん身一つをお救い申しあげよう。 」と大声をあげて一緒に仏や神をお祈り申しあげる。 「帝王の奥深い宮殿で(源氏の君は)お育ちになって、いろいろな楽しみに誇りを持っていらっしゃいましたが、その深いご慈愛は大八洲に広く行きわたり、悲運に沈んでいる人々をたくさんお救いになりました。 (それにもかかわらず)今、何の報いで、はなはだ非道な波風に溺れ死になさるのでしょうか。 天地の神々は(その是非を)ご判断下さい。 罪もないのに罪に当たり、官位を取られ、家を離れ、(京の)土地を去って、明け暮れ心の安まる時もなく嘆いていらっしゃるのにその上、このような悲しい目にさえあって、命が尽きようとしているのは、前世で犯した罪の報いか、(それとも)現世で犯した罪の報いなのかと(嘆いておいでになる)。 神や仏が明らかに(この世に)おいでになるならば、この嘆きを止めて下さい。 」と、(住吉)神社のほうに向いて、さまざまの願をお立てになる。 また(別に源氏が)、海の中の竜王や数多くの神々に願をお立てになると、(雷は)いよいよ鳴りとどろいて、(源氏の)住んでいらっしゃる建物に続いている廊に落ちてしまった。 炎が燃え上がって、その廊は焼けてしまった。 正気もなくして、そこにいる人々はみんなあわてふためく。 (源氏の君を)うしろのほうにある大炊殿と思われる建物にお移し申して、(そこへ)身分の上下を問わず(みんな)はいりこんで、ひどく乱雑に泣き叫ぶ声は、雷の音にも劣らないほどである。 空は墨をすったようにまっ黒で、日も暮れてしまった。 【語 句】 かくしつつ・・・このように雨風や雷鳴が続いて 世は尽きぬべきにや・・・この世はきっと破滅してしまうのだろうか またの日・・・あくる日、次の日 残るまじき気色・・・うちくだかれて残りそうもない様子 さらに…(打消)・・・少しも、全然 さらに言はむかたなくて・・・全く言い現わしようもなくて ある限り・・・そこにいる従者はみな さかしき人・・・気のしっかりしている人。 正気である人。 気丈な人。 かなしき妻子・・・いとしい妻や子 何ばかりのあやまちにてかこの渚に命をば極めむ・・・どれほどの罪を犯したために、この海岸で命を失うのだろうか、いやそんなはずはない。 命を極む・・・命を終わらす、命を尽くす いろいろの幣帛・・・いろとりどりの幣帛 近き境・・・ここ須磨に近い地域 しづめ守りたまふ・・・鎮守なさる。 鎮護になられる。 跡を垂れたまふ神・・・本地垂迹の神 さるものにて・・・さておいて。 それはさしおいて。 それはともかくとして。 またなき例に沈みたまひぬべきこと・・・前例のない死に方をなされそうなこと 心を起こして・・・心をふるい立たせて。 元気を出して。 ものおぼゆる限り・・・気の確かな人はすべて。 正気の者はみな。 ご自愛。 横ざまなる・・・普通でない。 非道な。 おぼほる・・・おぼれる、水に沈む ことわる・・・判断する、判別する ことわりたまへ・・・理非をご判断ください 境・・・土地。 安き空なく・・・安らかな気持ちもなく 空・・・心持ち、気持ち この世の犯しかと・・・この世で犯した罪の報いかと 神・仏明らかにましまさば・・・神仏が明らかにこの世においでになるならば おはしますに・・・源氏がお住みになっている建物に 廊・・・渡り廊下 心魂なくて・・・正気もなくなって精魂も失って ある限り・・・その場にいる者全部 大炊殿・・・食べ物を調理する建物。 炊事場。 移し奉りて・・・源氏をお移し申して 上下となく立ちこみて・・・身分の上下の区別なく大炊殿に大勢はいりこんで らうがわしく・・・乱雑に。 騒がしく。 泣きとよむ・・・大声で泣き騒ぐ 明石~やうやう風なほり~ 【冒頭部】 やうやう風なほり、雨の脚しめり、星の光も見ゆるに・・・・・・ 【現代語訳】 だんだん風がおさまり、雨あしもおとろえ、星の光も見えるようになると、この(源氏の)ご座所がたいそう普通と違った(見苦しい)所であるにつけても、たいそうもったいなくて、寝殿にお移し申しあげようとするが、焼け残っているほうも気味悪そうで、大勢の人が大きな足音を立てて踏み歩いてうろうろしている上に、(寝殿の)御簾などもみな風が吹き飛ばしてしまっていた。 (従者は)「夜が明けてから(お移ししよう)」と(暗い中で)まごまごしている時に、源氏の君はご念誦なさって、いろいろ思いめぐらされると、ひどく心が落ちつかない。 月がのぼって、潮が近くまで満ちて来ていたあとがはっきりと見え、その名残りとしてなお寄せては返す波が荒いのを、柴の戸を押しあけて、じっとながめていらっしゃる。 この近くの土地には、物の道理をわきまえ、過去・未来のことを知っていて、(この天変の原因を)ああだ、こうだとはっきり理解する人もいない。 (ただ)身分のいやしい漁夫たちが、「(ここは)高貴な方がいらっしゃる所だ」といって、集まって来て、(源氏の君が)お聞きになってもわからないことを互いにしゃべり合っているのも、たいそう珍しいけれども、追い払うわけにもいかない。 (その漁夫たちが)「この風がもう少しやまずに吹いていたならば、高潮が上がって来て、残らず流されたことだったろう。 神のご加護が並み並みではなかったのだなあ。 」と言うのをお聞きになるにつけても、ひどく心細い、と言ったところでとても言い尽くせるものではない。 (そこで源氏は) 海においでになる神のお助けによらなかったならば、潮の集まる沖合いはるかに押し流されて漂ってしまったことだろう。 (とお詠みになる。 ) 【語 句】 雨の脚しめり・・・雨足がしずまり いとめづらかなるも・・・ひどく奇妙であるにつけても かたじけなくて・・・おそれ多いので 焼け残りたるかた・・・落雷の際、失焼をまぬがれた部分 うとましげに・・・うす気味悪そうで。 いやな感じで。 そこら・・・多数。 たくさん。 踏みとどろかし・・・がたがた足音をたてて踏み歩き 惑へるに・・・うろうろまごついている上に たどり合へるに・・・互いに思い迷っている時に 心あわただし・・・ 心が落ちつかない あらはに・・・はっきりまる見えで 名残・・・余波 近き世界・・・この付近 世界・・・土地、地方 物の心・・・物事の道理。 物の情趣 うちおぼえ・・・わきまえ とやかくやと・・・あれこれと。 どうである、こうであると。 はかばかしう・・・はっきりと。 明確に。 あやしき海士ども・・・身分の低い漁夫たち さへづり合へる・・・ぺちゃくちゃしゃべり合っている 残る所なからまし・・・高潮にすっかりさらわれてしまっただろう 疎かならざりけり・・・並みひと通りではなかったのだなあ いと心細しといへば疎かなり・・・全く心細いと言ったのでは言い尽くせないほどだ 座す・・・いらっしゃる かからずは・・・頼らなかったならば 潮の八百会ひ・・・潮流が八方から集まり合う所。 沖の深い所。 さすらへなまし・・・きっと漂流しただろう 明石~ひねもすにいりもみつる風の騒ぎに~ 【冒頭部】 ひねもすにいりもみつる風の騒ぎに、・・・・・・ 【現代語訳】 一日じゅう、激しくもむように吹いていた風のさわぎのために、そうはいっても、ひどくお疲れになってしまったので、(眠る気もなく)思わす、うとうととお眠りになる。 (粗末で)恐れ多いほどのご座所なので、(源氏は)ただ物に寄りかかって(眠って)いらっしゃると、故桐壺院がまるでこの世に生きていらっしゃったお姿のままで(源氏の前に)お立ちになって、「どうしてこんな見苦しい所にいるのか。 」とおっしゃって、(源氏の)お手をとってお引き立てになる。 (そして故院は)「住吉の神がお導きになる通りに、早く船出してこの浦を立ち去れ。 」とおっしゃる。 (源氏は)とてもうれしくて、「恐れ多いお姿にお別れ申しあげてからのち、いろいろ悲しいことばかりたくさんございますので、今はこの海辺に身を捨ててしまいましょうかしら。 」と申しあげなさると、(故院は)「全くとんでもないこと。 これはほんのちょっとしたことの報いなのだ。 私は帝位にあった時、あやまちはしなかったけれども、(知らないうちに)自然と犯した罪があったので、その罪のつぐないを終える間ひまがなくて、この世をかえりみなかったけれども、(そなたが)ひどい悲嘆に沈んでいるのを見ると、こらえきれなくて、海にはいり、海岸にのぼって(冥土からここまで来たため)、ひどく疲れてしまったけれど、こういう機会に内裏に奏上しなくてはならないことがあるので急いで都にのぼってしまうのだ。 」とおっしゃって、お立ち去りになった。 (源氏はお別れするのが)もの足りなく悲しくて、「お供として(都へ)参りましょう」と泣き沈みなさって、(故院のほうを)お見上げになると、人影はなく、月の顔だけがきらきらと輝いていて、夢を見た気持ちもせず、(故院の)けはいが(まだそこに)残っているような気持ちがして、空の雲がしみじみと心にしみるようにたなびいていた。 この数年、夢の中でも(故院のお姿を)見申さないで、恋しく気がかりなご様子を、かすかではあるが、はっきりと見申しあげた、そのお姿だけが目の前にちらついているようにお思いになって、「自分がこうして悲しみの底に沈み、命がなくなってしまおうとしていたのを、助けるために、空高く飛んでおいでになったのだ」としみじみ(ありがたく)お思いになるにつけて、「よくもこのような(暴風雨の)騒ぎもあったものだ。 」と、(夢の)あとも気強く、うれしくお思いになることこの上もない。 胸がぐっといっぱいになって、(故院にお会いしたために)かえってお心が乱れて、現実の悲しいことも忘れて、「(たとえ)夢でもお返事をもう少し(申しあげればよかったのに)申しあげずにしまったことよ」と気がふさぐので、「(故院が)もう一度お見えになりはしまいか」とわざとおやすみになるけれども、いっこう眠れなくて、夜明け方になってしまった。 【語 句】 ひねもすに・・・朝から晩まで。 一日じゅう。 (粗末すぎて)もったいない。 ただおはしまししさまながら・・・ちょうどご在世中そのままのお姿で など・・・なぜ。 どうして。 あやしき所・・・見苦しい所。 粗末な所。 この浦を去りね・・・この須磨の浦を立ち去れ かしこき御影に別れ奉りにしこなた・・・恐れ多いお姿にお別れ申しあげて以来 こなた・・・以来、このかた 身をや捨てはべりなまし・・・死んでしまいましょうかしら いとあるまじきこと・・・それはほんとにあってはいけないことだ。 全くとんでもないことだ。 これはただいささかなるものの報いなり・・・このたびの不運はほんのちょっとしたこと(罪)の報いである。 犯し・・・罪を犯すこと その罪を終ふるほど・・・その罪のつぐないとして受けている責め苦が終わる間 いみじき憂へに沈むを見るに・・・源氏がひどい悲しみに沈んでいるのを見ると 内裏・・・皇居。 そこに住む天皇。 奏す・・・天皇に申しあげる 急ぎ上りぬる・・・急いで都へ上ってしまうのだ 飽かず悲しくて・・・あっけなくもの足らず悲しいので 月の顔・・・月のおもて。 月の光。 御けはひとまれる心地して・・・故院の面影が残っているような感じがして。 恋しうおぼつかなき御様・・・恋しくて、気がかりに思う故院のご様子。 ほのかなれど・・・かすかではあるが。 ちらりとではあるが。 さだかに・・・はっきりと。 明瞭に。 面影におぼえたまひて・・・幻影としてお感じになって。 故意に。 さらに御目も合わで・・・全くお眠りになれないで さらに…(打消)・・・少しも、全然 澪標~女君には、言にあらはして~ 【冒頭部】 女君には、言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを、・・・・・・ 【現代語訳】 紫の上には、(今まで)言葉に出して(明石の君のことを)ほとんどお話しにならないが、ほかから聞き合わせなさることがあっては困るとお思いになって、(源氏の君は)「実はこんなことがあるのです。 妙に意地悪く出来たものですね。 子供があってほしと思うあなたにはなかなか出来そうもなくて、意外に(明石の君に生まれるとは)残念なことです。 そのうえ女であるそうだから、ほんとにいやになります。 (その子をこちらから)尋ねて世話をしなくてもかまわないことだけれども、そうは捨て置くわけにもいかないことですしね。 (そのうち)迎えにやって(その子を)お見せ申しましょう。 (私を)憎みなさいますなよ。 」と申しあげなさると、(紫の上は)顔が赤くなって、「妙に、いつもこういう(嫉妬の)方面をご注意いただく(私の)性分が自分ながらいやになります。 (それにしても)嫉妬はいつ習うことが出来るのでしょう。 (あなたがこういう仕うちをなさる時に習うことが出来るのですよ。 )」とお恨みになると、(源氏は)にっこり笑って、「それ、その通りに嫉妬なさる。 (あなたの嫉妬は)だれが教えるのだろう。 (それはわかりませんが、あなたのその態度は)心外に思われますよ。 私も考えてもいない邪推をして、(私を)恨んだりなどなさいますね。 思えば悲しいことです。 」とおっしゃって、しまいには涙ぐんでしまわれる。 (それを見て紫の上は)ここ数年の間、「たまらなく恋しい」とお思い申しなさったお心のうちなどや、折りにつけてのお手紙のやりとりなどお思い出しになると、「すべてのことは(その時だけの)たわむれなのだ」と(恨みも)自然に消えてしまわれる。 (源氏は)「(私が)明石の君をこうまで思いやって、問い尋ねるのは、やはり(その人の身に)考える子細があるのですよ。 (しかし)あまり早く(それを)お話しすると、また誤解なさるでしょうから(今は申しません)。 」と途中でおやめになって、「明石の君の人がらがすぐれていたのも(明石という)所のせいであったろうか。 (私には)珍しく思われましたよ。 」などと話しておあげになる。 (明石の去る時に)しみじみと心にしみた、夕べの煙によそえて詠んだ歌、(それに明石の君が)答えて詠んだことなど(を語り)、はっきりではないが、その夜の(明石の君の)顔をほのかに見たことも、琴の音の優美であったことも、すべてお心に残って忘れられないように(源氏が)お話しになるにつけても、(紫の上は)「私のほうはこの上もなく悲しいと思い嘆いていたのに、(源氏の君は)一時のたわむれであるにしても(私以外の女に)心をお分けになったようであるよ」と、おだやかでなく思い続けずにはいられなくて、「(それなら)私は私。 」と(源氏に)背を向け、物思いに沈んで、「以前は愛情の深い(私たちの)仲でしたね。 」と、ひとりごとのように嘆いて、 (あなたが明石の君に「煙は同じかたになびかむ」とお詠みになったように)思い合う同士がなびく、その同じ方面ではなくとも、私はその煙より先に消えてしまうとうございます。 (と詠むと、源氏の君は)「何をおっしゃるのか。 情けないことを。 だれのためにつらい海や山にまで流浪して回り、絶えず流れる涙の中に浮き沈みして(苦労して)きた私なのでしょうか。 (みなあなたに会うためだったのですよ。 ) いやもう、どうにかして(私の本心を)お見せしたい。 (そうは思いますが)命はどうも思い通りになりにくいもののようです。 つまらないことで(私が)他人から悪く思われまいと思うのも、ただあなたひとりを思うためなのですよ。 」といって、箏のおん琴を引き寄せて、調子を合わせて軽くお弾きになって、(紫の上にも)おすすめ申されるけれども、(紫の上は)あの明石の君がすぐれていたと聞くのもねたましいのであろうか、手もおふれにならず、たいそうおおどかで、かわいらしくしとやかでいらっしゃるものの、(源氏と明石の君との関係には)やはり執念深い所がついていて、嫉妬をなさる様子が、かえって愛らしさがあるので(紫の上が)腹をお立てになっているのを、(源氏は)「かわいらしく(相手として)見る価値がある」とお思いになる。 【語 句】 をさをさ・・・ほとんど。 いっこうに。 ねぢけたるわざ・・・ひねくれていること。 筋道をはずれて意地悪いこと。 さもおはせなむ・・・そうであってほしい。 心もとなくて・・・じれったくて。 ものしけれ・・・「ものし」は、不快だ、気にくわない意。 憎みたまふなよ・・・嫉妬なさいますなよ。 かやうなる筋・・・このような方面のこと。 うとましけれ・・・「うとまし」は、いやだ。 いとわしい意。 もの憎み・・・人を憎みこと。 そよ・・・ほら、その通り。 それそれ。 ならはし・・・教えて習慣にすること。 もの怨じ・・・嫉妬。 「もの憎み」に同じ。 言問ふ・・・安否をたずねる。 思ふやう・・・考えるわけ。 思う子細。 ほの見し・・・ほのかに見たのも。 思ふどち・・・思い合っている者同士。 何とか・・・なんとおっしゃるのか。 なんですって。 いでや・・・いやまあ。 はかなきことにて・・・つまらないことによって。 人に心おかれじ・・・人に恨まれたくない。

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